itoいとしほにゃららと。

鎌倉に住むヒトの皮を被った猫のような人の記録。

みんなが神様で、サンタさんで、ヒーローですという話

「神様」って信じますか??


「見えない力」って信じますか??




と書くと
何やら怪しいニオイがしますか??笑






なんだかもうわけがわからないけど


私応援していただいてるな
私ほんとツイてるな
神様ありがとー!
皆さんありがとー!
お陰様で私ほんと幸せに生きてますー!



という感覚の話です





*「宣誓」をしてから私に起こっていること


本人もわけがわからなくなるほどの「情報」が集まってきているといえばいいでしょうか





「楽しみにしてる!」
「ついにやるのね!」
「絶対行くからね!」
という応援の言葉




「うちの場所使って!」
「あそこ使ったら?!」
「もりやん、こんなところが!」
という開催場所の候補地多数




「繋ぎたい人がいる!」
「私、こういう力になれるかも!」
という拡がっていく未知数のご縁




「鎌倉で働きたいならここ募集してたよ」
「うちで働かない?」
という益々鎌倉から出たくなくなる選択の可能性




そして
このタイミングで計ったかのように起こっている持病の燻り

身体が強制的に私にたっぷりの時間をとって考えろとでも言ってるような感覚でいる







昨晩もしばらく連絡とってなかった大学の後輩がわざわざ連絡をくれて、またひとつご縁をプレゼントしてくれたばかり






思わず言ってしまった



私、ツイてますね!!!








*流れはある、背中はぐいぐい押されている、でも敢えての「ひと呼吸」を

あの宣誓からまさかここまでのスピードで一気にいろんな方向へと拡がるとは……


まっったくの予想外






きっと本人が一番驚いてますし、本人が一番開いた口が塞がらない状態です。笑









流れはある



背中はもう痛いくらい押されている









でも焦るな


私が私を見失うな








今一度


私は自分の足元を見るべきタイミングをいただいた気がしている








それは

これから先数年かけて
もしかしたらもっとの時間をかけて
どう自分の想いを実現していくのか






仕事だけじゃない






単純に

どう生きたいのかという話






生きるとか書くと
小難しい話になるかもしれないけど

簡単な話






現時点で私はどう生きたいか
誰と何をしたいのか

それを整理しようという話










これは定期的に訪れているもので

ノートにガリガリ何時間も書きなぐりのための時間をとることになる









自分のためだけの、私のためだけの

幸せな時間





今日はそこに時間を使うことになるだろう





*世の中みんなきっと誰かの神様で、サンタさんで、ヒーローなんだと思う

冒頭の話に戻って




神様や見えない力を
私は信じている類の人間です
※◯◯教信者ですとか、そういう話ではないんだけど



同時に
ちっぽけだけど
ちっぽけだからこその
私自身の可能性を信じている


同時に
周囲の皆さんへの感謝が絶えない・途切れることのない生き方をさせていただいている


いつもどんな状況でも感謝しよう!
と思っているという話ではなく
(そんなこと私にはできません)
(辛い時は辛いです)


「ありがとうございます」を伝えたい人が次から次へと現れる状況で生きています





私は
何か専門知識があったり
手に職を身につけていたり
頭脳が明晰であったり
特別に何かできることがあるような……
そういう人間ではないのです





自分だけじゃ何もできないから




だから
助けていただいてばかりです

いつも気にかけていただいてばかりです

いつもいつも私は自分のやりたいことを叫んでばかりです

まるで子どもです笑




でも
たぶんそれが私の良さであり、私の可能性



これでいいのだ

これがいいのだ





そう信じて歩めば歩むほどに

自分でもわからないほどの大きな大きなギフトがいろんなところから届く





みんな口を揃えて言う


「大したことしてないよ!」

「いや、ちょうど伊藤ちゃんが頭に浮かんだんだよ!」

「ほら、前こんな風に言ってたからさ!」

「絶対その夢みんなで叶えよう!」


なんて言ってくれる








大したことじゃないよって言うけど
私にとっては大したことでして
いつもすごく嬉しいんです


頭に浮かべてくれるなんて
頭の中に小さい伊藤飼ってくださってるんですか
ちょうど今朝友人に小動物みたいだと言われたんですけど、小動物が頭の中にいて煩わしくないですか


私の言ったことを覚えていてくださるなんて
もう惚れてしまうじゃないですか(こら


みんなで叶えようなんて
それほどまでに心強い言葉はないです







みんなが優しく見守ってくれる神様で
みんながプレゼント届けてくれるサンタさんで
みんなが手を差し伸べてくれるヒーロー



見えないけれど
「お陰様」という力が
どんどん、どんどん動いていて
その中で私は生かしてもらっています



たくさんの情報や知恵、ご縁や選択が
私の中だけではなく
私の外で拡がっていく



不思議な感覚です

まだ何ひとつとしてカタチにはなっていないけど、すでにいろんな方に育てていただいているような気がしています




もしかしたら
泊まれる食堂「おかえり」は
またカタチを変えていくのかもしれない





それはそれでいいのだと思う

頑なにならずゆるりと構えていこうと思う





大切なことは私が私を裏切らないこと


私が私を裏切った時
私が私にガッカリした時
私が私を信じられなくなった時

神様やサンタさん、ヒーローに対して同じことをしているだろうからね








前述したようなお声がけをくださっている皆様


ありきたりな言葉ですが


本当に
本当に本当に

ありがとうございます






何もわからないで進んでいます


というか
皆様に道を作っていただいていて
そこをちょこちょこ歩ませていただいています



至らないところしかないような私です

ずっこけるだろうし
ぴーぴー泣くこともあるだろうし
変わらずきっと助けていただくばかりです



それでも
それでも
今後ともどうぞよろしくお願いいたしますとお伝えさせてください




私は私らしく
焦らずに、でも少し速歩き

皆様のお力添えをいただいて
歩ませていただけたら幸いです


どうぞよろしくお願いいたします

【宣誓】私は年内に鎌倉で「おかえり」をプレオープンします

小さい頃

宣誓を音だけ聞いて

先生だと思ってました




「先生!僕たち私たちは!」

て言ってると思ってました




いとうです
もりです
みーちゃんです


呼び名がたくさんあります
嬉しいです




*宣誓!!!!!


記事のタイトルがそのまんま本題です


サクッとサクッと
言いたいことを今日は書くつもりです





私は


年内に


鎌倉で


泊まれる食堂「おかえり」の


プレオープンをやります





いろんな方に御協力いただき
開催場所を悩んでいるところです
※色々連絡取らせていただいた皆さん、ありがとうございます








もう

こう書いたからには

よっぽどのことがない限り


有言実行です







体が震えます


なんせ私は料理に関して大分素人です


プロじゃありません
家庭料理の程度です


ただの主婦です


しがない会社員です


普段は収納用品や服に囲まれて
幸せ〜♪♪に働いている25歳女性既婚者です









体が震えます








でも

やります




やりたいです







私は年内にもう一歩、二歩ほど


前へ進みたい




*たくさんの愛情を受け取り生まれた「前へ」の心

鎌倉に引越してきて早9ヶ月





道で会えば声をかけていただいたり

遠目でもお互いに手を振ったり

「いつもありがとう」と言っていただいたり

お裾分け色々いただいたり





「来るたびに鎌倉に馴染んでるね」


「もう鎌倉の人だね」


なんて

よく遊びに来てくれる友人に言われたり…








かなりの人見知りである私にとって

「人間関係」をつくること
「コネクション」というものは

ひとつの大きな壁だった





でも

今はそれが心地よいものになっている






これもみんな

この土地独特の空気感だったり

関わらせていただく皆さんのおかげ









夢である宿に少しでも近づけたらと

週一にも関わらずお仕事をやらせていただいたり






感謝しかない






私は本当に恵まれている幸せ者


周囲の方々にチャンスをプレゼントしていただき

見守っていただき

支えていただき

「伊藤ちゃん」
「伊藤さん」
「みずきちゃん」

と呼んでいただいて

愛情たっぷりいただいている



だから

どんどん
どんどん


自然体に

飾り気なく

大きな声で笑って

顔をクシャクシャにして



「今日も楽しかった」

と言って眠ることができる








私にはそうして

背中を押してくれる人が

横から支えてくれる人が

自分ごとのように私を想ってくれる人が


たくさんいる






だから

あとは私が踏み出す勇気だけなのだ





*さあ、夢を叶えに行こう

私が抱く夢は
泊まれる食堂「おかえり」を創ること





ある夫婦の

日々のしあわせ・いとしさと共にある食堂



ごはんを食べたかったらお腹いっぱいにしよう

お酒がほしかったら乾杯しよう

お話したかったら沢山言葉を交わそう

眠くなったらゆっくり休もう



ここは「ただいま」を言いたくなるおうち

泊まれる食堂「おかえり」






これを創ることが私の夢






空想にはしない


実現をさせる





だから

踏み出す





年内に一度


鎌倉でプレオープンやります









だから

大好きな皆さんへ







遊びにきてください


私と乾杯してください


私をおちょくりにきてください


あたふたする私と旦那を見て
どうかどうか楽しんでください


ごはんつくります


東北のお酒を用意します


その日私と一緒に過ごしてください


私に皆さんのお時間を
少しプレゼントしてください


少しと言わず結構いただけたら
それはもうめちゃくちゃ嬉しいです






ええい!!!と、夢に向かって飛びます







詳細決まっていき次第

お伝えさせていただきます(^^)

どうしてって、私がそういう場所ほしいからです〜泊まれる食堂を作りたい理由〜

「どうして宿をやりたいんですか?」



前記事ではコンセプトについて書いたけど
もうひとつ大切なものがある




why
理由
信念



というところ



この質問もそりゃ当然たくさん聞かれる


が、

コンセプトはビシッと言えるようになったけど

理由の部分が相手に伝わりやすい言葉にまだできていないことに気づいた





相手の反応・表情は

すなわち
私自身の反応であり表情ということ





熱意は有り余っているけれど
言葉数が多くて取っ散らかる状況は
まあ良くはないかなと思ったのでした




というわけで今日は
理由の部分について掘り下げる記事




鬱病、ひきこもりの人間が抱いたはじめての夢


宿をやりたいという想いがぽやっと生まれた時
私は鬱病だった






実父からの虐待を理由にして

ずっと他責して
ずっと他人のレールに乗って
ずっと人の顔色を見て
びくびくと怯えて
父の望むように生きてきた自分を

認めたくなかったからだ





人のせいにして生きることはとっても簡単

苦しい、辛い、どうせ………
という言葉を並べることもとっても簡単






でも
この生き方を続けては多分幸せにはならんだろうという気づきを認めるには
それをずっとやってきた自分の存在を認めるには時間がかかった





あなた自身が変わらないと
どれだけ周りに愛されていても
それを受け取ることはできないし
幸せになれない


旦那さん
すごく愛してくださってるじゃないですか







そう言われて
幸せを心の底から感じて生きられるようになりたいと、「生きたい」という欲を言葉にするように私は変わった





そんな鬱病の人間が立ち直るキッカケとなったひとつが

他人の意に沿う言葉・行動を、他人の顔色を見て、その人にとって正解か不正解か気にしながら紡ぐのではなく

自分の内側から純粋に湧く想いを感じ取って、現実にするために言葉を発して、行動をしようと決意したことである





私は今後どう生きていきたいのか

私は何をしてみたいのか

私は何が欲しいのか

私はどんなことにワクワクするのか

私は一体何が好きなのか




ずっとずっとずっと問いかけていた






答えを集約してみたら

衣食住という日本語におさまった



この言葉通りである

私はこれらがとても好きらしい






じゃあ

自分にとって最高の衣食住を、自分にとっての大好きを、感じるために私は最大限何ができる??







それを仕事にできたらいいんじゃないか??






雇われる??








いや

創り出してみたい





どんな風に??



そうだ
お宿なんてどうかな





場所だって妥協しない

もう妥協することなんてしない




ずっと移住したかった鎌倉がいい






*宿をつくりたい理由は、私自身がそういう場所がほしいと強く強く願った結果


どうして宿をやりたいの??

次に聞かれたら多分こう答えるだろう





私自身が渇望した場所を
「どこにあるのだろう」と探すのではなく
自分の手で現実に創り出したいと思ったから







それはどのような場所なの??


私が私らしく在れる場所
私が私に”かえる”場所


かえる=帰る、還る
ふたつの意味がある



そのために
心安らぐ土地と
おいしいごはんと
眠くなったら眠れる場所と
生活に寄り添うとびっきりの大好きな色々が揃ってる



もちろん
私にとって大好きな旦那さんは欠かせないから一緒にやる気満々









何をやるの??

泊まれる食堂「おかえり」だよ








*私のための命だから、私の思うままに生きる

あーーー
自分でも納得できる言葉にできた!
※完全な自己満記事だわ、ごめんなさい







私のための人生です

私のための時間です

私のための命です





ずっと他責して
ずっと他人のレールに乗って
ずっと人の顔色を見て生きてきた私だから


それをやっとやめた私だから


やめたら
なんかわからないけど幸せだから




確信を持ってそう言葉にする








やってみたい
カタチにしたい


自分にとっての”最高”を描いた夢を





やってみたいを通り越して

絶対にやる
というか
できると思っている

そう信じている





根拠はない

けど
今の私だったらできると思っている







自分の内側にとことん目を向ける


自分の声をとことん聴く


そして
それを外へ発することを恐れない


世界は、宇宙は
その声を拾ってくれるし
カタチにする手助けをいつもいつもプレゼントしてくれるから



それに気づくのか気づかないのか
手にするのかしないのか

すべては自分次第なんだな




だから世界は
自分次第でいくらでも変わっていくんだな








ここからどう行動していくか



急がず焦らず

でも
チャンスを常に探りながらこれからも

泊まれる食堂「おかえり」を作りたい

ずーっと
鬱シリーズ書いてましたが……

やりたいお宿のコンセプトが
ぴたっっと気持ちよくハマったので
そのことについて書きたいなと


あ、すこーしだけ書いたかもしれないけど
私の夢は鎌倉でお宿をやることです


*宿っていうより、食堂のイメージだなあ

「聞いたよ!お宿やりたいんだってね!どんなコンセプトなの??」

最近ありがたいことに
鎌倉の先輩方にこの質問をよくしていただくのだけど

やりたいことがたくさんありすぎて、”コンセプト”を自分の言葉でうまく話せない状態がずっとでした……



この日もある方に聞かれて、コンセプトという言葉にはならぬ自分のやりたいことをたくさん聴いていただいてたわけです
※私の親友が鎌倉に遊びにきていて、お気に入りのカフェへ行った先で、偶然バッタリ出会った鎌倉の先輩と一緒にお話することになるというなんとも可笑しなシチュエーション



その時に前述した言葉をいただき

「なぬ?(´゚ェ゚)」





泊まれる食堂だな


その方はそう仰った

私はそわそわしてた




ひとつ
なにそれめちゃいいなという気持ち


ふたつ
でも私、自分でごはん作る気ないで( ゚д゚)



このふたつの気持ちで
ワクワクにはならぬそわそわ




*本当にやりたいことは何?

私はこの質問を改めて問われていた


宿をやりたい気持ちに偽りはない
でもなぜ相手は「宿」よ「食堂」というイメージを抱いたのか


それは
無意識の私の言葉の端々にきっと現れていたからだろう


でも
悶々する

自分ではなぜ食堂のイメージに繋がったのか、そして自分自身やりたい!とならないのか、わからない


そんな私を見て隣でずっと一緒に話を聴いてくれていた親友がサラッと言ってくれた



「私は宿より、泊まれる食堂のほうが行きやすいかも」

「もりのごはん、やっぱりいいもんね」

「でもね、もりのやりたい気持ちが大切だから、ちがうと思うならちがっていいと思うんだよね」

「一番はもりの気持ちが大切」





私は本当にやりたいことは何かをまた問われているんだなとわかった


そして、どんな形であれ応援してくれる人がこんなに近くにいるんだなということもわかった



さて、私は

宿を主体にしたいのだろうか?

食を主体にしたいのだろうか?





自分に聴いてみるうちに答えは出てきた




*自分の食に価値がつかなかったら怖いという気持ち




私はごはんを作ることが好きだ


お皿を出した時
食べてくれる人のキラキラした眼が好き

作って
誰かに食べてもらって
美味しいって言ってもらえて
お皿の中身がきれいになくなった時

なんとも言えない幸せに包まれる




自分のために作ることも好きだ

どの器を使うのか
どんな配置にするのか
彩りは……

などを考えることがたまらなく楽しい




そう
好きなのである
たぶん自分が思う以上に大好きなのだ



「もりのごはんが食べたい」

そう言って
鎌倉に泊まりに来る友人のみんなも
外のごはん屋さんじゃなくて
私のごはんを食べてくれる子も多い



「もりのごはんは何とも言えないけど幸せがあふれてる」

そんな言葉を言ってくれる子もいる




でも
自分で作ったものを宿で出す気はなかった



価値がつかなかった時が怖いから



美味しいって言ってもらえなかったら?
口に合わなかったら?
自分のごはんに価値なんて……
私それ専門で仕事してないし
そういう学校も行ってないし……
特別に何かうまくできるわけじゃない……
包丁の握り方だって正しくないだろう
そもそもいつも目分量で作るし……
作業も早くはないし……



そういうことを考えると
ごはん作りは私の中であくまでも「好きなこと」に留めておきたい気持ちがあったことに気がついた


ごはん作りを嫌いになりたくない


そう思っていた




*泊まれる食堂「おかえり」を作りたい

そういう時に問いかける言葉がある


「すべてうまくいくとしたら、どうしたい?」








答えは、「やってみたい」だ













やりたい宿のコンセプトが定まった





私はカウンターの中で黙々とごはんを作る
でも黙々としてるように見えて
実はルンルンしている


旦那はニコニコ
ごはんを食べにきた人も
泊まり目的の人もみんなを出迎えて
お酒を準備しながら楽しそうにお話をする


”おーい!手止まってるで!待ってるで!”
私がそんな風に茶々入れすると
”はーい♪そんな焦んなくても、ねぇ♪”
と言ってやっぱりお話しながらお酒を作る



私が作るものは簡単だし
いわゆる家庭料理になるだろう

それでいい
それがいい


どんぶりごはんと
豆皿いっぱいおかずちょこちょこなごはん
もしかしたら定食かもしれない
あとはおつまみが少し



「今日部屋あいてる?」
「もうこのまま泊まりたい!」

「ごはん食べたし寝る!明日は自転車で江ノ島目指す!どこかいいお店あるかなー?」

「それならいいところがあるよ」


地元の人と遊びに来た人との会話が生まれる

壁には鎌倉や逗子のお店の
ショップカードをたくさん貼ってある
お客さんとの写真もある

たくさん食べて飲んでおしゃべりして
楽しむだけ楽しんだら泊まっていけばいいよ
ゆっくり休んでまた明日



決して広くはない食堂
部屋数もそこまで多くはないお宿


居心地は抜群にいい


オオサンショウウオ似の旦那と
ヒトの皮を被ってるけど猫な性格の嫁

場を作るのに欠かせない
夫婦の掛け合いを見るのもたぶんまた面白い




みんなの鎌倉のおうちになったらいいな

泊まれる食堂「おかえり」








このコンセプトが浮かんで
私の気持ちはワクワク、ゾクゾクに変わった



毎日が練習

毎日が実験


そんな日々が最近たまらなく愛おしい

私は別に普通の人だけど、私のいる世界は素晴らしいと思っている話

いともりです


鎌倉は由比ガ浜通りでは
今こんな光景を見ることができます

街灯に紫陽花ついてるの






*25歳の私シリーズ、お付き合いいただきありがとうございました

随分長くなったあのシリーズ
読んでくださった方々
ありがとうございました


予想外なことに
読んでくださった方々から
ご連絡をいただくこと、いただくこと…


なんか
本当にありがとうございます


色んなお言葉もいただいたので、いくつかピックアップして私が思うことをサクッと書こうかなと思います








*強くないよ、私は自分の弱さや嫌な部分をようやっと認められただけなのです


強いね

と本当にたくさん仰っていただきました



私的にはちょっとこの言葉むずむず




なんというか

強くはないと思うんだなぁ٩( 'ω' )و




強がることは一切やめた


代わりに
ひた隠しにしてきたつもりの
弱いところや自分の嫌な部分を
他人様にどう思われるかはさておき

解放することにした
おっぴろげー_(┐「ε:)_





強がることをやめた

というのは
私的には

嫌われないために完璧な人間で在ろうとすることをやめたということ




嫌われたくない
愛されたい

でも
本当の私では愛されない

だったら
こうすればいいんじゃないか
あれができたらいいんじゃないか


条件があれば
それが増えれば
愛して”もらえる”と思ってた


裏返しすると
相手を
周囲の人々を

「条件付きじゃないとこの人は私を嫌う」
「無条件でこの人は私に接してくれたりしない」

と、それはそれは偏った見方をしていた
失礼も甚だしいね!



もちろん
嫌われることもあるし
受け入れられないこともある


でも
それをビクビクして一体どうするのだ



そんなこと自分じゃ決められないわけで
そもそも相手が決めることなわけで

相手が超絶的に自分を拒絶するなら
相手は自分の鏡だから自分に何かあるのかもだし
そもそもどうしたって合わない人なのかもだし…




好かれよう、嫌われないようにしよう…と
他人軸に合わせて考え過ぎて生きていくことは

疲れる( ̄Д ̄)ノ




残念ながら
心配しなくても
条件などなくとも人は愛されるらしい

たくさんの鎧を背負ってる自分でも
そのことをわかったうえで
愛してくれる人もいるらしい





でも
自分で自分のことを受け入れられていないと

せっかくたくさんの愛情注がれていても
気づかないし愛情飢餓状態だし
受け取り拒否状態なんだな




愛情受け取る器を整えることができるのは自分だけだと思う




自分の弱いところを開けっぴろげにできることを「強さ」というならば
もしかしたら私は少し強くなれたのかもしれない








*嫌われることがまったく怖くないわけではなくて、私の行動の基準が変化したという話

「あそこまで話して怖くないんだね」

うーーーん
まったく怖くないかと言われるとそれも違う




なんというか

人によって物事や行動の基準って色々あって
正解も不正解も世の中にはないと思うけど



前の私は

「これをしたらあの人にどう思われるかな」
「これはあの人には嫌がられるかも」
「これしたら喜ばれるかな」

が行動基準だったのだと思う



(前述したけど)
今の私は

何それ疲れる

と思うようになっている←





”他人にどう思われるか”

そこに理由付けをして行動すると
そりゃあ〜疲れる


だって
予想通りの反応が返ってこないと
ひどくがっかりしたり
一喜一憂するわけで

外の世界に振り回されるばかり





今は

”ぜんぶうまくいくなら私はどうしたいのよ”

が、行動の基準



そこに
返ってくる反応は考えにあまり入れない

だって
うまくいくことを大前提としている




とはいえ
毎日毎回毎秒
うまくいくのか?と聞かれたらんなわけない_:(´ཀ`」 ∠):




でもでも

これでいいのだ。・*・:≡( ε:)


うまくいかなかったり
予想と外れて違うことが起これば

私は人間だから喜怒哀楽あるし
悲しかったら悲しむし
怒りたければ怒るし
イライラするし
カチンとくればそれも言う

もちろん
「仕方ないか」でストンとおさまることもある




感情を相手にぶつけること
そこに後悔は少ない気がする



本当はイライラしてたり悲しいのに
そのマイナス感情出すことで
相手にどう思われるか云々考えることが
疲れる

そして

相手のことばかり考えて
自分のことを無視することはもうやりたくない




ので
私に怒りをぶつけられたお相手はお相手で
カチンとくるだろうし
不本意!!!
と思ってるかもしれないけど…(ごめんちゃい


私は
とりあえず自分の感情の出し惜しみはしない
消化不良にさせないことを選ぶ



というか
勝手に消化不良にして
溜め込んで
我慢できなくなって
後々爆発させる方が面倒だと思うようになった
※前までの私




だから

「怖くないんだね」

の質問に答えるならば
そうではないのだ


行動するための基準・指標が変わっただけ





今回これだけ色々書いた理由は

「どうして鎌倉が好きなのか」
「どうして宿をやりたいのか」

そう聞かれた時に
自分の生い立ちや鬱の体験というものは
マストで必要なものだったからだ



  • 今までの私の生い立ち
  • 鬱になる期間


これらがなければ
私は絶対に宿の発想に至っていないし
鎌倉移住も決行していない

このプロセスは私にとって宝物なんだと自信を持って言えるからだ




怖いとか
怖くないとかじゃない



絶対に実現させたい想いがあり、その想いがどのようにして錬成されたかを私は”書きたかった”のだ





自分軸による行動の結果だし、自分がやりたくてやっているから、ここまであけっぴろげに書いたんだと思う






*すごくないよ、自由にやらせてもらってるのです


こんだけ好き勝手やってるからか

「すごいね」と言われるけど

私はすごいわけではないんだな




周りの方々が素晴らしいんだな

ということは、世界が素晴らしいんだな

世界が優しいということなんだな




これだけ好き勝手やっていても、私のことを好きだと言ってくれる方々がいる

手を差し伸べて助けてくださる方々がいる





ありがたいなぁ
うれしいなぁ

しあわせだなぁ


生かしてもらってます


25歳の”私”が生誕して思うこと

とっっっても長くなった前記事

読んでいただいた方
ありがとうございましたm(._.)m


今回も
とっっっても長いです(毎度ごめんなさい


このシリーズの締め括りに

  • 出来事後の母や弟とのこと
  • この体験から学んだこと

を書いていきたいと思う_φ(・_・




*母と弟からの「ごめんね」と、私生誕との引換のように起こったこと

母から夜中にメールが

高速バスで眠ることもできず
打ってくれたんだろうなと思う


そこには謝罪の言葉がとにかく並んでいて

今までのことに
どんな思いがあったかを知る



------------

もうお家に着いたかな?
今日はありがとう


気づいてあげられなかった

私一人で家族をずっと守ってきたつもりだった

でも
それよりもずっとずっと前に
たった3歳のあなたに家族を守らせてきていた


どれだけ辛かったろうか
どれだけ苦しかったろうか


きっと私は同じことには耐えられない
私なら命を絶っていたように思う


でも
あなたは捻くれることもせず
真っ直ぐに生きてきてくれたね


そんなことも知らないで
今日まで
娘のあなたを疑うことがあったことを
母親としてあなたを守れなかったことを
謝りたい


あなたと父親の関係は
何があるかはまったく想像できなかったけど
親子の距離感じゃないと思うことがあった
嫌悪感を抱いたこともある

それをあなたの弟に話し
弟はあなたを気持ち悪いと言い
ここ数年避けるようになったことは知っているでしょう


仕方ないと思っていた
あなたが悪いと思っていた
母の私もあなたを普通じゃないと見ていた


ごめんね
本当にごめんね


でも
あなたは家族が喧嘩すると
いつも双方の話をしっかりと聞いてくれて
間を取り持つ役割をしてくれた


弟が学校を辞めたがって勘当騒ぎになった時は
東京からその日のうちに仙台に戻ってきて
弟を必死に守っていたね



小さな頃からそうだった



ねえ
あなたは
どれだけのことを耐えて生きてきたの?



これからは母さんがあなたを守るから
もうあなたに辛い思いは絶対にさせない



今まで私たち家族を守ってきてくれてありがとう


これからは
自分の人生を生きてね


------------


後日
弟からも泣きながら謝られる電話があった


どれだけ
お姉に守ってもらってきたかもわからないで
連絡も取れないようにして本当に申し訳ない


俺は父に
母やお姉、親族の愚痴を聞かされたことは
まったくなかった

お姉がずっとそれを俺と母に言わず
一人で受け止めてきたのかと思うと
何もしなかった自分が情けない

何も知らなかった

でも知らないじゃ済まされない

本当にごめん






母と弟は
それとなく感じ取っていたのでしょう


でも
何があったかまではわからない

私も絶対に言うまいと思っていたし
二人もあえて知ろうとはしなかっただろう



けど
二人にとっては
あまりに想像を絶するショックなことだった



二人を傷つけるかもしれない
でも拒絶されるかもしれない

どっちも嫌だ

そっか
それなら私が我慢すればいいんだ


……これは今までの私


25歳の私は
傷つけることや嫌われることが嫌だとかじゃなく

すべて問題なくうまくいくとしてどうしたい?

をベースに考えるようになった




実はこの出来事の後
程なくして
母と弟はほぼ同時に鬱病になってしまう



二人ともひどく自分を責めていた

母は毎晩のように
電話をかけてきては死にたいと言ってたし

弟も電話やLINEをよくしてきて
家に遊びにきてはただただ寝ていたっけ


そんな二人の姿を見ても
私はもう自分を責めることはなかった

助けようとも思わなかった






もしかしたら
この言葉はとても冷たく感じられるかもしれない


でも
断言できる理由が私にはある


それは
自分のことが大嫌いで仕方なくて
人生どん底に落ちて
逃げまくって逃げまくって
でも逃げられなくなって
ようやく観念して
色々やって
「鬱になって本当によかった」
「おかげさまで幸せだと思えるようになった」
「自分のことを好きだと言えるようになった」

私が得た学び



*人は他人に愛してもらうことで幸せになるのではなく、自分自身をまるっと受け入れた時にすでに幸せであったことに気づく

声を大にして本当のことを言って
「こう生きる」と言った直後
大切な人が鬱になった


それでも
私が落ち込むことなく
自分を責めることもなくなった理由のひとつは



人は
他人を救うことはできないし
他人を変えることもできない

もっと言うと
他人に自分を変えてもらうことや
他人に自分を幸せにしてもらうことは
本質的、根本的には違うと考えるようになったから




人は

他人に認めてもらうことや
他人に許してもらうことや
他人に愛してもらうことで
幸せになるのではない




人は

自分で自分をまるっと認められた時
自分で自分を許すことができた時
自分で自分を守ると決めた時
自分が一番に自分を愛すると覚悟した時


その時に
すでに幸せだったことに気づく




自分を救うことはできる
自分を変えることはできる
自分を幸せにすることはできる



すると
世界はいくらでも
しかも
思い通りに変わっていくことを私は知った



自分が変わると
当然の如く
取り巻くものも同じように変化する




そう思うようになったから
そうだと確信しているから
たとえ目の前で家族が鬱になろうとも
まったく自分を責めることはなくなった
何かしようとも思わなくなった


母と弟が鬱になったキッカケは
私の過去の告白であれ
二人の物事の受け取り方によるものである

自分が悪いと責めている結果である




今までの私と
まったく同じことをしていると思った


自分を傷つけて自分を蔑んでいる





そこへ
私は介入できないし
介入したところで
二人自身が心から納得しなければ
まったく意味がないわけで
まったく変化は起こらないわけで


だから
二人自身の力で乗り越えるしかない




「娘が、姉が、虐待を受けていることに気づかなかった」
という事実が
どれだけ自分にとって
かっこ悪く
情けなく
許しがたいことであっても


過去を変えることはできない


過去・事実を認められないあまり
自分を傷つけて責めて生きるほうが
人は楽なのである



でも
それでは幸せにはなれないんだな





私の場合は

「実の父に意味もわからず性虐待を受けた」
という事実が
本当に恥ずかしくて
嫌で嫌でたまらなくて
かっこ悪くて
情けなくて仕方なかった

本当は助けてほしいのに
本当は弱くて仕方ないのに
他人に拒絶されることが怖すぎて怖すぎて
強い自分を装い続けた

私はひどい臆病者だった



そのことを認めることができなかった



でも
「そんな臆病で、かっこ悪い、許しがたい存在も私の一部だ」
と腹落ちさせることができた時に
日々はがらりと変わっていった




その時に
幸せになったというか
すごく幸せであったことや
愛してもらっていたことに気づくことができた




どんだけかっこ悪くて情けなくても
愛される人は愛される
でも
嫌われる時には嫌われるんだなぁ



愛されない
嫌われるに決まってる
と決めつけているのは
意外と自分だけだったりするんだなぁ



そんなことを学んだように思う






*いつだって世界は自分の思い描いた通りになっているという嘘のような本当のハナシ

鬱の時に読んだあらゆる本に書かれていた話



引き寄せの法則とかもそうだと思うのだけど

物事は思い描いた通りになる


読んだ最初は疑ったし
納得なんてできなかったけど
まったくそうだと私も思うようになった





人は生きていれば
いつも何かしらイメージを持ってると思う


私、あの人に嫌われてる
これ、うまくいくのかな
あー失敗したらいやだ

人は知らず知らずのうちに
そのイメージを実現させるための
選択をし続けている



私の場合は
「嫌われている」
「怖い」
「愛されていない」
という超ネガティヴなイメージ



その答え合わせをするように
物事を選び続ける



これは無意識的なことばかりだから
自分でも本当に気づかない



結果
知らぬうちにいつも同じような結果になって

「どうしていつもこうなの?」

と蔑むようになったりしてね




でも

世界は自分の思い描いた通りになるならば

それが
事実だとするならば


どれだけ世界は優しいだろうか



と、考えるようになった





*人は地球に生まれる前から自分の人生という脚本を作って、それを楽しむために生まれてくる

こんな話も
読んでいた本には
決まって書いていたように思う
※先人の知恵とはすごいものだね





胎内記憶の話がある


これは賛否両論ある話だけど
私は信じるというか
そう物事考えると楽しいから受け入れている



私たちは
地球という遊園地へ生まれてくる前に
人生という脚本を作ってから生まれてくる



「私、地球でこういう体験して、それをこんな風に乗り越えて、その先にこういうことを学ぶ!」
と、ぜーんぶ自分で選んでから生まれてくる




でも
すべて覚えていたら
攻略簡単な人生ゲームになるから


記憶をすべて忘れて生まれてくる




もう生まれる前から選んできてるなら
仕方ないじゃんとも思う…笑






そう
人生の他責をしなくなる




”私”の人生は”私”が主役

どんなことも自分で選んで生まれてきた



親も
国も
育つ境遇も
辛い出来事も

ぜーんぶ選んで生まれてきた




誰のせいでもない

”私”が選んだ人生




性虐待をそのように受け入れるには
かなり時間がかかったし
鬱にもなった



けど
結果そう考えられるようになったら


人生は楽しいものなんだ
人生は思い描く通りになっていくんだ


と生きやすくなった





*生きることは楽しいことであり、とても幸せなことである

終わりに



私がこの体験を得て今思うことは

鬱になって本当によかったね、私

ということと

本当に幸せだね
人生って楽しいね
生きるって楽しいね

ということと

もう
早死にしたいだなんて言えないね

ということ




本当に楽しい


あ、大分前に書いた
オオサンショウウオ様に投下された試練もあるし、それはそれで死にたくなるくらい衝撃だったけど笑


でも
やっぱり人生のスーパーマンは現れる

そして
これもまた私が選んだことなのだろうと思うと
落ちるだけ落ちたら、それで終わり





私は感情がある人間、ヒトだから
ショックなことがあれば落ち込むし
泣くこともあるし
イライラしてオオサンショウウオ様を罵倒することも、か・な・りある←おい



でも
某アニメキャラも仰ってるけど
これでいいのだ



完璧である必要なんてないのだから



私は
完璧でなくても
完璧でないからこそ
世界に助けてもらって生きているし
たくさんの人に愛してもらっている


そもそも
自分に不足があると思っていても
相手は思っていなかったりするし


そもそも
足りてないところ含め
私たちはいつだって満点なのだ



感謝しかないじゃないか


生まれてきてよかった
幸せ



今は声を大にしてその言葉を言える




長々とここまで読んでくださった方
シリーズすべてお付き合いいただいた方
ありがとうございました


今の私は
このようにして生まれてきました


色々感じられることはあると思うけど
どうぞこれからもよろしくお願いします


25歳の”私”が生まれるまで⑦

今日は人生最大の山場・課題であった


実の母に20年以上隠してきたことを伝えた時のことを書きます





*母と普通の関係でいられなくなること、嫌われることを私は何よりも恐れた


私が何よりも恐れたことは

親子の縁を切られること



性虐待って
難しい問題だと思っていて


それは
同性の親、私の場合母親に
「子」「娘」として見られるか
「女」として見られるか
ぱっくりと分かれると思うから



私は
「女」として見られて
親子の縁を断たれることを
何よりも恐れた


母は私を普通に見てくれるのだろうか?




信じる信じないという話ではないのよね


大切な人に嫌われることがとにかく怖いという話




母は
私にとってはあまりに大きすぎる存在で
本当に大切な大好きな人


でも
その大好きな母とも
普通に関われなくなったら……??



父が私へ言い続けた
「お前は母さんに嫌われている」
「愛されてなんかいない」
を自分で認めることになってしまう気がして


血のつながりを
自ら断つことになってしまう気がして



ただただ怖かった






*我が家のオオサンショウウオ様からのお告げ

( ̄▽ ̄)
「生まれてからずっと天涯孤独の身の人は、実の親の愛は知らないかもしれない。けど、その分周りに愛されているかもしれない」


( ̄▽ ̄)
「結局、その人次第だよ。俺は親の愛なんて知らない!だからどーのこーのとかひねくれてたらさ、みーんな避けると思わない?」


( ̄▽ ̄)
「まあたとえそこが切れても、俺はどんなみっちゃんでも大好きだから心配しないで!(きらりーん」


( ゚д゚)
「あ、はい(きらりーん……」




怖いのだと話した時
オオサンショウウオ様はこう言った



確かにそうだなぁと納得

どんな境遇であれ
愛される人は愛されるし
嫌われる人は嫌われるんだよね

と腹落ちした
※にしてもこれだけ「好き好きー!」と言ってくれる旦那さんで私は本当に幸せ者だと思う



*恐れを手放して前へ進んで幸せになることへの決意


んでもって
私は執着していたと思う



嫌われないことに

好かれることに

良く見られることに

いい娘で在ることに

愛されることに



それは

自分のことを好きになれない
自分を肯定できないことの
裏返しでもあった


自分で自分を肯定できないから
他人からの愛情で埋めようと超必死




でも

自分で自分のことを好きって言えないと他人からの愛情は受け取れないんだよね





嫌われないように今まで通り取り繕うのか

嫌われようとも本当の自分をオープンにするのか


天秤にかけて後者を選んだ



たとえ親子の縁を切られようとも
これ以上取り繕って生きることはできない

たとえ親不孝者と思われようとも
私は私の思う人生を作りたい

たとえ娘と思ってもらえなくなっても
私は幸せになりたい


この時
結構多くの人に
自分の過去について話すことができて
鬱も良くなりつつあった


血のつながりがなくとも
こんなにたくさんの人に愛してもらってる


執着してるから前に進めない

嫌われてもいい
殴られてもいい
罵倒されてもいい
また鬱になってもいい

当たって砕けろ

今までとは
真逆の選択をするんだ

どんな眼で見られようとも
私は私を一番愛するから大丈夫




そして
その日を迎える




*母の決心


その日は母が東京へ来た

何のためかというと
「心屋仁之助さん」の講演会へ一緒に行くため


私はもうここで話すと決めていた


カウンセリングもいろんな方法があると思うけど、心屋さんの言葉や解釈は当時鬱の私にはかなり響くものだった

だから一度
生で聴いてみたかった

母と一緒に


母も父の不倫で参ってたから
どう受け取るかはわからないけど
聴いてみてもらいたいと思っていた




今でこそ違うけど
母はいつも私に当たりが強くて
この時も開口一番
服や髪型へのダメ出し……笑
※これにも理由があったと後ほどわかるけど



講演会までは時間があったから
お茶しながらずっと父の不倫について話していた

母は気丈だった
本当によく耐えていた

でも
ストレスで本当に痩せてしまっていた


この母に話すのかと思うと
本当に心臓が痛かった

でも、どう受け取るかは母が決めること

そう思い決意は揺らさなかった



講演会は本当に良くて
珍しく母も
「連れて来てくれてありがとう」
「来てよかった」
と言ってくれた
※本当は口にしたいけど口にできないことを声を大にして言うって内容で「クソババア!」とか「私本当は借金があるの」とか「不倫してます」とか「本当は私だけ見て欲しかった」「お母さん、助けて」などなど何百もの言葉を口にした




なかなか
ありがとうとは言われたことがなかったから
びっくりしたことを覚えている


母は高速バスで日帰りするから
新宿まで送っていったのだけど
その道中で

「あのねーずっと黙ってたことあるから言うね」
「今日の講演会聴いて話そうと決心できたよ」

と言って話し始めた




*父は不倫常習犯というカミングアウトw


なんと父は私が3歳、弟が1歳の時に約6年もの大不倫を始めていたw

その時に離婚しようとしたけど
離婚するなら
私は父のところ、弟は母のところへ…
という話が出て
姉弟を離れ離れにしたくない想いもあり
母は離婚に踏み切らなかったらしい


その時
会社のお偉いさんの娘と不倫をしたものだから
当時いた支社からは飛ばされる話になって父は居た堪れず退職した

この退職を私は
「お前が転校を嫌がったから」
とずっと聞かされていたのだけど
本当の理由は違ったことを知った


大不倫は現在進行形を含めて2回

しかし
小さなものも含めると何度あるかわからないとのこと



「腐ってもあなたたちにとっては父だから、否定の眼で見てほしくなくて言えなかった」

「私が耐えればいいと思ってた」

「ずっと隠してきたけど、今の不倫はもうあなたたちにも知れてるし時効よね」

「母さん、強いでしょ」

「子どもたち二人が幸せになれば私はそれでいいから、だから幸せになってね」



母は気丈に作り笑いをしていた

本当に強い人だ
私は泣きそうだった

でも
母もまた弱い人なのだと知った

自分の幸せを
子に、他人に依存していることを知った


やっぱり私のおかんだね



私の心は穏やかだった

人に初めて話した時過呼吸になったのに
今はもうまったく怖くないや

今なら言える
何があっても今なら大丈夫



「おかん、私も20年以上黙ってきたことがあるから聴いてほしい」




*20年以上越しのカミングアウトをしてやっと本当の親子になれた話


母はキョトンとしていた

そりゃそうだ
20年以上前の私は幼稚園児だもんね



母の顔を見ると
鼻の奥がツンっとしてきて泣きそうだった

二人横に並んでいたから
そのまま前を見て
深呼吸をして話し始めた





おかん

もう知ってるかもしれないけど
私ね
おとんに性虐待を受けていた

ちょうど
おかんが今話してくれた大不倫の期間と
丸被りで5,6年されていた

小さい時弟がよく喘息で入院してたでしょ
最初は決まってその時だった

でも
だんだんおかんがいる時でも隠れてされてたし
お風呂でも毎回だった

触られただけじゃない
口に入れられたこともある

小さい時はわけがわからなかったよ
これが普通なのかなと思ってた

でも
性教育とか始まって
自分が普通じゃないことを知った時に
本当に死にたくなった

自分のことが大嫌いになった

斜に構えて
達観してるようでムカつくって
いつからそうなったのって
小さい時は人懐っこくて…なんて
おかん私によく言ってたよね

私ずっと死にたくて仕方なかったの

生まれてこなきゃよかったと思った
女の自分が大嫌いだった

高校生の時には
自傷行為もたくさんしてたの
手首だと眼に見えちゃうし
死ぬ勇気はなかったから
髪の毛抜いたり脚に傷を入れてた

死ねなかった
おかんと弟のことがいつも眼に浮かぶ

おとんには
「お前は母さんに嫌われてる」
「愛されていないんだよ」
「母さんは弟だけが可愛いんだって」
「だから、お前はかわいそうな子なんだよ」
「俺がかわいがってやる」
てずっと言われ続けてた

2月に帰省した時にも言われた

20年以上そうだった

でも
私が黙っていれば
家族は仲良くいられるんじゃないか
崩れないんじゃないかと思っていたよ

違ったよね

帰省した後にEさんに会った話したでしょ
その時にね
このことを受け入れられなければ
子宮も卵巣も良くならないと言われたんだ

びっくりした

でも
自己否定が激しい理由は
性虐待を受け入れられていないからだって
心の底ではわかってた

それで
どうしたらいいかわからなくて
鬱になっちゃった

今は大分元気だよ

でもね
母に本当のことを話さない限り
私は私を生きられないと思った

私はもう嘘をつきたくない

だから話した





母の顔を見ると
母は心底驚いている顔をしていた


「知らなかったんだね、驚かせたね」

と言うと


「どうしてすぐに言わなかったの?!」

と怒鳴られた


でもすぐに

「ごめん、今のは違うね」
「言えなかったよね」
「愛されてないなんて実の父にずっと言われ続けてたら、言えるはずないよね」

と言った





私は清々しかった


20年以上の荷物をやっとおろして
最後の鎧を脱いだ気分だった

身体が軽かった
顔もすごく晴れ晴れしている気がした


こんなに清々しい気持ちは
今まで味わったことがなくてスッとしていた



「おかん、聴いてくれてありがとう」

「私、やっと本当のこと言えた」



おかんは

「他には…?」

「今まで言えなかったこと、ある?」

と聴いてくれた



性虐待のこと
愛されていないと言われ続けたこと
母、弟、親族の悪口を幼い頃から今日に至るまでずっと聞かされていたこと

そういったことを話した



「もう隠し事はないよ」



そう言うと、おかんは言ってくれた



*恐れを手放して前へ進んだことへのギフトはあまりに大きかった


「愛してるよ、大好きだよ」

「あんたは何も悪くないじゃない」

「小さな頃から一人で家族を守ってきたんだね」

「母さん、守ってあげられてなかったね」

「ごめんね」

「あんたは、本当に優しくて強い子だよ」

「がんばったね」

「ありがとう」



もう私死んでもいいなーと思った笑

欲しかった言葉を
言ってほしかった人から
すべてもらったから


勉強で一番になっても
運動で一番になっても
どんな賞をもらっても
通信簿でオール5をとっても
どれだけ他人に褒められても

母は滅多に私を褒めることはなかった



けど

この時本当に溢れんばかりの愛をもらったことを感じた


生まれてきてよかったと思えた


私はもう
母に対してはありがとうしか出なかった



あっという間に時間は経ってバスは来てしまった


お互いに語りつくせないものを感じつつ手を握って、ハグをして

「またね」

と言って別れた



*25歳の”私”生誕


こうして25歳の”私”は生まれた



自己否定の塊だった私
死にたがりの私


そういう私ではなくなっていた



心底笑うようになった


自撮りもしちゃう


「がんばったね」

「これでやっと生きられるね」

と自分に言えた




やっと自分をゆるすことができたのでした

やっと3歳の自分を真っ直ぐ見ることができるようになったのでした

やっと好きな自分に戻れた



とっっっても長いから今日はここで一区切り

読んでくださった方いたら本当にありがとうございます


次回
このシリーズの締め括りということで

  • 出来事後の母からのメール
  • なぜ母や弟は今まで私への当たりが強かったか
  • この体験から学んだこと

を書こうと思う