itoいとしほにゃららと。

鎌倉に住むヒトの皮を被った猫のような人の記録。

「ほっこり」をいただいたのは、私でした

ついに、ついに、ついに……


第一回Itogohan@ヤドカリカフェ


当日を迎えまして
無事に終了いたしました!!!!!




関わっていただいた皆様
本当にありがとうございました



これからも月1,2回で行う予定のヤドカリカフェですが、初回を終えてみての想いなどを書き綴ろうと思います。


*最強のサポートマンとサポートウーマンズ

「もりやんのやりたいようにやったらいい」
「みずきのやりたいようにやったらいい」

「大丈夫」
「応援してる」

「やることに意味があるのだから」



隣でずっと言い続けてくれた三人がいました


親友二人と
旦那様のげんちゃん






当日を迎えるまで
この三人のサポートがなければ
私はごはんを作り上げることはできなかった




自信をなくして
「もうどうしたらいいかわからない」
と弱音を吐いた時でも

「やりたいようにやったらいい」
「大丈夫」
と言い続けてくれた



当日来れなかった親友は

試作品を何度も何度も何度も食べてくれて
味を作り上げていくために
力を貸してくれた


げんちゃんなんて
毎日試作品の詰め合わせのお弁当なのに
文句ひとつ言わないで
毎日、毎日、毎日食べてくれて

「おいしいよー」
とニコニコして言ってくれて

どれだけ救われたかわからない



毎日毎日同じマフィンを
朝ごはんやおやつに食べてくれて



時には
私が洗い物しないでそのまんま寝てたりすると
何も言わずにそっと
お鍋やボウルを洗って片付けていてくれていた



親友の一人は仕事で忙しいにも関わらず
前日深夜に鎌倉まで来て
明け方まで準備を手伝ってくれて
当日もレジの打ち込みや売上管理
接客のサポートをしてくれた



三人がいなければ
私は弱音を吐くこともできなかったし
味の感想をいただくこともできなかったし
"思うままに"やることなんて
絶対に絶対にできなかった


落ち込んでは立ち上がり
落ち込んでは立ち上がり
落ち込んでは立ち上がり………


その繰り返しをできたのは
間違いなく三人の存在があったから


三人がいてくれることが
最大最高最強のサポートになっていました



本当に
ありがとう


*幸せなひととき

当日は次から次へと
「行くからね!」
と声がけくださってた方々が来てくださって

本当に幸せでした



中には
サプライズで来てくださった方もいて
本当に泣きそうになり

小学校時代の友人が来てくれて
10年以上ぶりの再会を果たしたり……




ほんとに嬉しかったです





自分で作ったものに「値段」をつけること
これはとてもこそばゆいことで



買っていただくこと
食べていただくこと

「おいしそう」という言葉を耳にすること
「おいしい」と言っていただくこと

それをすぐ側で見ることができること




とてつもなく
とてつもなく
幸せで
嬉しくて
あたたかくて


本当に
本当に

それだけでなんかお腹いっぱいになる

胸がいっぱいになる




「ご馳走さま」
「ありがとう」

何度もそうおっしゃっていただいた


けど
その言葉をそのままお返ししたいくらい

私は心を満たしていただきました




*コンセプトとニーズに対する試行錯誤をやめない

その中で
学んだことも多いです



あれが足りない
これがあるとよかった

このお皿の大きさは?

品数は?



もう挙げたらキリがない





そして
きっとずっとこの先も
尽きることのない「課題」として

コンセプトとニーズの擦り合わせがあるのだろうと思う


「コンセプト」に比重を置き過ぎると
そのコンセプトに共感してくださる人たちだけが集まるようになっていくだろう


「ニーズ」に比重を置き過ぎると
どんどんぼやけていって私は我を見失い自信も喪失していくだろう


非常に難解
というより、解けることのない課題


このバランスを意識しながら
「ごはん」を
「味」を
作り上げていくのだろう


これから先ずっと、ずっと







けど

月に1,2回という
無理のない範囲で
定期的にその課題にチャレンジできる


浮かんだ想いを忘れないくらいの期間で
試行錯誤をして
次を迎えるまでの準備をできる





「また次、期待してるから」

ニーズのすべてを拾うことは無理だ

でも
この言葉になるべくならこたえたい

そう思うから
また1ヶ月
私は毎日また台所と向き合おうと思えるのだろう


*「ほっこり」をいただいたのは、私でした

お店をやるとは
ごはんを作るとは

相手がいるからこそできること


本当にありがたくて
本当に幸せなこと




今回の写真を母に送った時に
言われた言葉


「あなた、とてもきれいになったね」

「見たことない!てくらい、良い顔してる!」

「安心したよ」



親だからこそわかることなのだろう

その言葉が
なによりも嬉しかった




私はあいもかわらず

皆さんのお陰様で生きていて
皆さんのお陰様で幸せなのだ




「みんなが心温まるような場を創りたい」


ずっとそう思っていた

これは
私のやりたいことだと思っていた




けど

心を温めていただいたのは
ほっこりを受け取ったのは


そう思い描いていた私の方でした






どんなことでも
一人の力で成し得るなんてできなくて

絶対に
誰かの「お陰様」をいただいている


そうして生きている

そうして幸せをいただいている

そうして夢を描くことができている




物事は

どこまでも
どこまでも
ひとつに連なっているんだな




そう思わせていただいた第一回目でした





また次回

皆さんに
何かあたたかくなるものを届けられるように


2017年11月25日
第2回Itogohan@ヤドカリカフェ

開催させていただきます





今回お越しくださった皆様

応援してくださった皆様

本当に本当にありがとうございました




心より、心より御礼申し上げます

「私らしいごはん」を提供させていただきます。

もりらしいものを食べたいから
きっとみんな来てくれるんだよ




疲れてるのにわざわざ家へ来てくれて
ヤドカリカフェの試作品「はらこめし」を食べてくれた親友が言ったことば。



はらこめしは、美味しいよ」

「でもさ、もりは本当は何を出したいの?」



もんのすごくざわざわした

もう一ヶ月切ったタイミングで
「本当は?」の言葉だ




しかも目の前にいる親友は
いつも的確なアドバイスをくれる子


小一時間、考えてみた


結論は出た


トライアンドエラーの繰り返しをしたいから、あの場所を選んだんでしょ」

「最初から守りに入るんじゃなくて、まずやってみてダメならダメだった時に考えよう」



当日まで残り一ヶ月切ったところで
私はメニューを考え直すことにした





* *「私らしさ」を求めてくれた親友

もちろん
ちびどんぶり飯もいいなと思っていた




でも
本当にやりたかったことは何かと聞かれたら

「デリプレート」だった




ひとつのお皿に
何種類かのおかずを少しずつ盛る

おかずはお客さんに選んでもらえたらいいかな

そこにお米とスープもあるといいかな








そんな風に考えていた





が、どんどんそこからは離れていって

結果
当初やりたいなぁと思っていたカタチは
あまり残らないもので
当日を迎えるつもりでいた



少しモヤっとしたものはあったかもしれない

けど
見て見ぬ振りをしていた





どうやら親友にそこを見抜かれたらしい


「もりらしいものを、もりらしいごはんを食べたくて、実際に眼で見たくて、きっとみんな鎌倉まで来るんだよ」


「もりだって、それをやりたいんじゃないの?」


「まずやってみたらいいと思う。それでダメな時に考えたらいいじゃん」


「最初から、”うまくおさめよう”だなんて、もったいないよ」



「私も、あなたらしいごはんを食べたい」


「いつもインスタにあげてる旦那さんのお弁当みたいなさ、おかずがちょこちょこあって、やさしそうな・愛情がこもってそうなごはん」


「それがあなたらしいごはんだと思う」







そこまで言ってくれるんやーーーー


そこまで考えてくれるんやーーーー


”私らしさ”を求めてくれるんやーーーー





痛いところを突かれたと思って
ぞわぞわしていた


けど
そうして真面目に想いを伝えてくれる
目の前の親友の存在にとても感謝した




「私らしいごはん」

間に合わないかもしれない

でも
今からでも遅くはない



腹を括った


どう転んでも後悔しないように
もう一度考え直すことにした





* *当たって砕けろ方式

まずは、やってみる

だめなら振り返って次に必ず生かす



ヤドカリカフェは
オーナーの島津さんのご厚意で
トライアンドエラーの繰り返しを思いっきりできる場所になっている



だからこそ

まずは挑戦をしてみる




Itogohanのデリプレート

皆様にお届けさせていただきます

「どう生きたいのだ?」その問いかけに答える時はきた

おそらく人は毎日この問いかけをされている



たとえば
「いったい何を食べたいのだ?」

たとえば
「誰といたいのだ?」

たとえば
「早く帰りたくないのか?」

たとえば
「どんな服を着たいのだ?」





つまりそれは

「どう生きたいのだ?」ということ





生きるという言葉を使うとあんまりにも大袈裟で、堅苦しく聞こえる気がしてくるけれども

詰まるところ
日々、一日、一瞬、刹那に至るまで
この問いかけに答えて人は生きている


私は、そう思う





そしてこの問いかけは
人生の岐路となるところでは
まーーーーいい役者を揃えてくれて
まーーーーいい演出をしてくれて
まーーーーいい物語を作ってくれて


答えるまでそこをどいてくれないものだ



しかも曖昧に答えると
時間を置いてまた同じ問いかけをしてくる



「まだ決められないのか?」




だいたいこういう時は
答えを決められないのではない


どうしたいかの答えは自分の中ですでに決まっていることがほとんどだ


だけど
踏み切る「意志」
踏み切る「勇気」
これを決断できない時なのだ





「さあ、改めて聞こう」

「どう生きたいのだ?」



8月、そして9月
私はいったい何度この問いかけをされたろうか




*見失いかけた自分の想い

「休職をする」
「身体と仕事、諸々含めて先のことを考える時間にする」



そう周りに話し始めた途端にだ

どういうわけか
ものすごいスピードと質、そして量の情報が私のところに集まった



自分一人では到底集められないものであり
有り得ないご縁や仕事だったり

とにかく私にはたくさんの選択肢ができた



が、同時に見失いかけたものがある


「私は、どうしたいんだ?」
ということだ




最初は状況に浮かれたものの
だんだんと感じるものがあった

「迷いが生じている」
「自分で自分をわからなくなっている」





立ち返るべき時だと思った



思い出したかった

初心に戻ってみたかった

今ある想いに自信を持てなくなってきていた




わかっている風が一番よくない




「どうして私はこの土地へ来たかった?」

「どうして私は最初宿をやりたかった?」

「どうしてそこから食堂へとカタチを変えた?」





こういう時にいつも使うノートがある

宿をやりたいと思った時に用意した
私のとっておきのノート




とりあえず何か書こう

そう思って最初のページを開いた






ほっとした

大丈夫と思った






そこには変わってない想いが

私にも
ちゃんと想いがあることが記されていた




*変わっていなかった私の描く「やりたいこと」


私のやりたいことは


「大切な人たちの休憩所」
「鎌倉に愛され、鎌倉と繋がれる場」



そう書かれていた



鬱をキッカケに
私にとっての癒しは鎌倉であることに気づいた

だから鎌倉を選んで移住してきた



大好きな土地で
ごはんやお酒を囲んで
大切な人たちと一緒に笑いたい

それをすることで
大切な人と鎌倉を繋いでいきたい

そうして
鎌倉を好きになってもらえたら幸せ




柄にもなく大義名分的なことを言えば
もっと拡大して話をしてみるならば

そうして鎌倉をいろんな人に知ってほしい
鎌倉といろんな人をつなぎたいのかもしれない









「そんな場所があったらワクワクするから」






遠くから来てくれる大切な人が休めるように
宿があったらいいと思っていた


ほっこりするには
ごはんって大切だと思うから
あたたかさを感じる食事を提供したいと思っていた


私にとってあったかいごはんのイメージは
いつだっておかんが作るようなごはん
家庭料理にあたたかさを感じる



自分で食事を作るつもりなんてなかった

でも
「宿をやるならあなたのごはんも一緒に食べたいよ」
と言ってくれる人たちが思いの外いてくれて
自分でやってみたいと思うように変化した






それを周りに話していたら
「宿」は
「泊まれる食堂」に変わっていった






私は

この街が好きで
この街で出逢った人も好きで




それらを

今まで出逢ってきた
大切な人たちへとつないでいきたいのだと思う






みんなの鎌倉の家


みんなの食堂




遠くにいる大切な人にも
近くにいる大切な人にも


愛していただけるような場所



そういう場所を創りたいのだと思う





*めぐってきた「チャンス」


選択肢が溢れていた

どれもすべて楽しそうで
こういうことに繋がりそうだな、生かすことができそうだなと思えるものばかりで
きっと私にとっていいものに違いなかったと思う



でも
腹の底から納得できなくて

一度すべてをリセットした





が、リセットした途端にだ

その途端に
最高のご縁は転がってきた


この話はまたゆっくり書きたいと思う






すべて

私一人の力では絶対に起こらなかったことで
周囲の方々がプレゼントしてくださったものばかり





本当に
一人の力では
こんな風に生きていくことはできない




私のやりたいことを聞いて


「そんなこと無理だ」
「現実的じゃない」


という人も正直たくさんいる







でも

それでも応援してくださって

道を一緒に模索してくださる方々が
支えてくださる方々が

「失敗してもいい」
「前へ進むことは忘れないで」
と見守ってくださる方々が

あまりにたくさんいてくださって

私は本当に本当に幸せ者だと思う






チャンスは万人に用意されていると聞く


しかしそれを
「チャンス」と捉えるか
「壁」と捉えるか

物にするのか

立ち向かうのか逃げるのか

気づかず通り過ぎるのか



それはその人次第なのだそうだ


どれも間違いはない
すべて正しい


物事はすべてタイミングとバランスだ








めぐってきたチャンス

与えていただいた好機






心地よい秋風を感じる季節


人生の新しい一歩を踏み出すと答える時が来た



みんなが神様で、サンタさんで、ヒーローですという話

「神様」って信じますか??


「見えない力」って信じますか??




と書くと
何やら怪しいニオイがしますか??笑






なんだかもうわけがわからないけど


私応援していただいてるな
私ほんとツイてるな
神様ありがとー!
皆さんありがとー!
お陰様で私ほんと幸せに生きてますー!



という感覚の話です





*「宣誓」をしてから私に起こっていること


本人もわけがわからなくなるほどの「情報」が集まってきているといえばいいでしょうか





「楽しみにしてる!」
「ついにやるのね!」
「絶対行くからね!」
という応援の言葉




「うちの場所使って!」
「あそこ使ったら?!」
「もりやん、こんなところが!」
という開催場所の候補地多数




「繋ぎたい人がいる!」
「私、こういう力になれるかも!」
という拡がっていく未知数のご縁




「鎌倉で働きたいならここ募集してたよ」
「うちで働かない?」
という益々鎌倉から出たくなくなる選択の可能性




そして
このタイミングで計ったかのように起こっている持病の燻り

身体が強制的に私にたっぷりの時間をとって考えろとでも言ってるような感覚でいる







昨晩もしばらく連絡とってなかった大学の後輩がわざわざ連絡をくれて、またひとつご縁をプレゼントしてくれたばかり






思わず言ってしまった



私、ツイてますね!!!








*流れはある、背中はぐいぐい押されている、でも敢えての「ひと呼吸」を

あの宣誓からまさかここまでのスピードで一気にいろんな方向へと拡がるとは……


まっったくの予想外






きっと本人が一番驚いてますし、本人が一番開いた口が塞がらない状態です。笑









流れはある



背中はもう痛いくらい押されている









でも焦るな


私が私を見失うな








今一度


私は自分の足元を見るべきタイミングをいただいた気がしている








それは

これから先数年かけて
もしかしたらもっとの時間をかけて
どう自分の想いを実現していくのか






仕事だけじゃない






単純に

どう生きたいのかという話






生きるとか書くと
小難しい話になるかもしれないけど

簡単な話






現時点で私はどう生きたいか
誰と何をしたいのか

それを整理しようという話










これは定期的に訪れているもので

ノートにガリガリ何時間も書きなぐりのための時間をとることになる









自分のためだけの、私のためだけの

幸せな時間





今日はそこに時間を使うことになるだろう





*世の中みんなきっと誰かの神様で、サンタさんで、ヒーローなんだと思う

冒頭の話に戻って




神様や見えない力を
私は信じている類の人間です
※◯◯教信者ですとか、そういう話ではないんだけど



同時に
ちっぽけだけど
ちっぽけだからこその
私自身の可能性を信じている


同時に
周囲の皆さんへの感謝が絶えない・途切れることのない生き方をさせていただいている


いつもどんな状況でも感謝しよう!
と思っているという話ではなく
(そんなこと私にはできません)
(辛い時は辛いです)


「ありがとうございます」を伝えたい人が次から次へと現れる状況で生きています





私は
何か専門知識があったり
手に職を身につけていたり
頭脳が明晰であったり
特別に何かできることがあるような……
そういう人間ではないのです





自分だけじゃ何もできないから




だから
助けていただいてばかりです

いつも気にかけていただいてばかりです

いつもいつも私は自分のやりたいことを叫んでばかりです

まるで子どもです笑




でも
たぶんそれが私の良さであり、私の可能性



これでいいのだ

これがいいのだ





そう信じて歩めば歩むほどに

自分でもわからないほどの大きな大きなギフトがいろんなところから届く





みんな口を揃えて言う


「大したことしてないよ!」

「いや、ちょうど伊藤ちゃんが頭に浮かんだんだよ!」

「ほら、前こんな風に言ってたからさ!」

「絶対その夢みんなで叶えよう!」


なんて言ってくれる








大したことじゃないよって言うけど
私にとっては大したことでして
いつもすごく嬉しいんです


頭に浮かべてくれるなんて
頭の中に小さい伊藤飼ってくださってるんですか
ちょうど今朝友人に小動物みたいだと言われたんですけど、小動物が頭の中にいて煩わしくないですか


私の言ったことを覚えていてくださるなんて
もう惚れてしまうじゃないですか(こら


みんなで叶えようなんて
それほどまでに心強い言葉はないです







みんなが優しく見守ってくれる神様で
みんながプレゼント届けてくれるサンタさんで
みんなが手を差し伸べてくれるヒーロー



見えないけれど
「お陰様」という力が
どんどん、どんどん動いていて
その中で私は生かしてもらっています



たくさんの情報や知恵、ご縁や選択が
私の中だけではなく
私の外で拡がっていく



不思議な感覚です

まだ何ひとつとしてカタチにはなっていないけど、すでにいろんな方に育てていただいているような気がしています




もしかしたら
泊まれる食堂「おかえり」は
またカタチを変えていくのかもしれない





それはそれでいいのだと思う

頑なにならずゆるりと構えていこうと思う





大切なことは私が私を裏切らないこと


私が私を裏切った時
私が私にガッカリした時
私が私を信じられなくなった時

神様やサンタさん、ヒーローに対して同じことをしているだろうからね








前述したようなお声がけをくださっている皆様


ありきたりな言葉ですが


本当に
本当に本当に

ありがとうございます






何もわからないで進んでいます


というか
皆様に道を作っていただいていて
そこをちょこちょこ歩ませていただいています



至らないところしかないような私です

ずっこけるだろうし
ぴーぴー泣くこともあるだろうし
変わらずきっと助けていただくばかりです



それでも
それでも
今後ともどうぞよろしくお願いいたしますとお伝えさせてください




私は私らしく
焦らずに、でも少し速歩き

皆様のお力添えをいただいて
歩ませていただけたら幸いです


どうぞよろしくお願いいたします

【宣誓】私は年内に鎌倉で「おかえり」をプレオープンします

小さい頃

宣誓を音だけ聞いて

先生だと思ってました




「先生!僕たち私たちは!」

て言ってると思ってました




いとうです
もりです
みーちゃんです


呼び名がたくさんあります
嬉しいです




*宣誓!!!!!


記事のタイトルがそのまんま本題です


サクッとサクッと
言いたいことを今日は書くつもりです





私は


年内に


鎌倉で


泊まれる食堂「おかえり」の


プレオープンをやります





いろんな方に御協力いただき
開催場所を悩んでいるところです
※色々連絡取らせていただいた皆さん、ありがとうございます








もう

こう書いたからには

よっぽどのことがない限り


有言実行です







体が震えます


なんせ私は料理に関して大分素人です


プロじゃありません
家庭料理の程度です


ただの主婦です


しがない会社員です


普段は収納用品や服に囲まれて
幸せ〜♪♪に働いている25歳女性既婚者です









体が震えます








でも

やります




やりたいです







私は年内にもう一歩、二歩ほど


前へ進みたい




*たくさんの愛情を受け取り生まれた「前へ」の心

鎌倉に引越してきて早9ヶ月





道で会えば声をかけていただいたり

遠目でもお互いに手を振ったり

「いつもありがとう」と言っていただいたり

お裾分け色々いただいたり





「来るたびに鎌倉に馴染んでるね」


「もう鎌倉の人だね」


なんて

よく遊びに来てくれる友人に言われたり…








かなりの人見知りである私にとって

「人間関係」をつくること
「コネクション」というものは

ひとつの大きな壁だった





でも

今はそれが心地よいものになっている






これもみんな

この土地独特の空気感だったり

関わらせていただく皆さんのおかげ









夢である宿に少しでも近づけたらと

週一にも関わらずお仕事をやらせていただいたり






感謝しかない






私は本当に恵まれている幸せ者


周囲の方々にチャンスをプレゼントしていただき

見守っていただき

支えていただき

「伊藤ちゃん」
「伊藤さん」
「みずきちゃん」

と呼んでいただいて

愛情たっぷりいただいている



だから

どんどん
どんどん


自然体に

飾り気なく

大きな声で笑って

顔をクシャクシャにして



「今日も楽しかった」

と言って眠ることができる








私にはそうして

背中を押してくれる人が

横から支えてくれる人が

自分ごとのように私を想ってくれる人が


たくさんいる






だから

あとは私が踏み出す勇気だけなのだ





*さあ、夢を叶えに行こう

私が抱く夢は
泊まれる食堂「おかえり」を創ること





ある夫婦の

日々のしあわせ・いとしさと共にある食堂



ごはんを食べたかったらお腹いっぱいにしよう

お酒がほしかったら乾杯しよう

お話したかったら沢山言葉を交わそう

眠くなったらゆっくり休もう



ここは「ただいま」を言いたくなるおうち

泊まれる食堂「おかえり」






これを創ることが私の夢






空想にはしない


実現をさせる





だから

踏み出す





年内に一度


鎌倉でプレオープンやります









だから

大好きな皆さんへ







遊びにきてください


私と乾杯してください


私をおちょくりにきてください


あたふたする私と旦那を見て
どうかどうか楽しんでください


ごはんつくります


東北のお酒を用意します


その日私と一緒に過ごしてください


私に皆さんのお時間を
少しプレゼントしてください


少しと言わず結構いただけたら
それはもうめちゃくちゃ嬉しいです






ええい!!!と、夢に向かって飛びます







詳細決まっていき次第

お伝えさせていただきます(^^)

どうしてって、私がそういう場所ほしいからです〜泊まれる食堂を作りたい理由〜

「どうして宿をやりたいんですか?」



前記事ではコンセプトについて書いたけど
もうひとつ大切なものがある




why
理由
信念



というところ



この質問もそりゃ当然たくさん聞かれる


が、

コンセプトはビシッと言えるようになったけど

理由の部分が相手に伝わりやすい言葉にまだできていないことに気づいた





相手の反応・表情は

すなわち
私自身の反応であり表情ということ





熱意は有り余っているけれど
言葉数が多くて取っ散らかる状況は
まあ良くはないかなと思ったのでした




というわけで今日は
理由の部分について掘り下げる記事




鬱病、ひきこもりの人間が抱いたはじめての夢


宿をやりたいという想いがぽやっと生まれた時
私は鬱病だった






実父からの虐待を理由にして

ずっと他責して
ずっと他人のレールに乗って
ずっと人の顔色を見て
びくびくと怯えて
父の望むように生きてきた自分を

認めたくなかったからだ





人のせいにして生きることはとっても簡単

苦しい、辛い、どうせ………
という言葉を並べることもとっても簡単






でも
この生き方を続けては多分幸せにはならんだろうという気づきを認めるには
それをずっとやってきた自分の存在を認めるには時間がかかった





あなた自身が変わらないと
どれだけ周りに愛されていても
それを受け取ることはできないし
幸せになれない


旦那さん
すごく愛してくださってるじゃないですか







そう言われて
幸せを心の底から感じて生きられるようになりたいと、「生きたい」という欲を言葉にするように私は変わった





そんな鬱病の人間が立ち直るキッカケとなったひとつが

他人の意に沿う言葉・行動を、他人の顔色を見て、その人にとって正解か不正解か気にしながら紡ぐのではなく

自分の内側から純粋に湧く想いを感じ取って、現実にするために言葉を発して、行動をしようと決意したことである





私は今後どう生きていきたいのか

私は何をしてみたいのか

私は何が欲しいのか

私はどんなことにワクワクするのか

私は一体何が好きなのか




ずっとずっとずっと問いかけていた






答えを集約してみたら

衣食住という日本語におさまった



この言葉通りである

私はこれらがとても好きらしい






じゃあ

自分にとって最高の衣食住を、自分にとっての大好きを、感じるために私は最大限何ができる??







それを仕事にできたらいいんじゃないか??






雇われる??








いや

創り出してみたい





どんな風に??



そうだ
お宿なんてどうかな





場所だって妥協しない

もう妥協することなんてしない




ずっと移住したかった鎌倉がいい






*宿をつくりたい理由は、私自身がそういう場所がほしいと強く強く願った結果


どうして宿をやりたいの??

次に聞かれたら多分こう答えるだろう





私自身が渇望した場所を
「どこにあるのだろう」と探すのではなく
自分の手で現実に創り出したいと思ったから







それはどのような場所なの??


私が私らしく在れる場所
私が私に”かえる”場所


かえる=帰る、還る
ふたつの意味がある



そのために
心安らぐ土地と
おいしいごはんと
眠くなったら眠れる場所と
生活に寄り添うとびっきりの大好きな色々が揃ってる



もちろん
私にとって大好きな旦那さんは欠かせないから一緒にやる気満々









何をやるの??

泊まれる食堂「おかえり」だよ








*私のための命だから、私の思うままに生きる

あーーー
自分でも納得できる言葉にできた!
※完全な自己満記事だわ、ごめんなさい







私のための人生です

私のための時間です

私のための命です





ずっと他責して
ずっと他人のレールに乗って
ずっと人の顔色を見て生きてきた私だから


それをやっとやめた私だから


やめたら
なんかわからないけど幸せだから




確信を持ってそう言葉にする








やってみたい
カタチにしたい


自分にとっての”最高”を描いた夢を





やってみたいを通り越して

絶対にやる
というか
できると思っている

そう信じている





根拠はない

けど
今の私だったらできると思っている







自分の内側にとことん目を向ける


自分の声をとことん聴く


そして
それを外へ発することを恐れない


世界は、宇宙は
その声を拾ってくれるし
カタチにする手助けをいつもいつもプレゼントしてくれるから



それに気づくのか気づかないのか
手にするのかしないのか

すべては自分次第なんだな




だから世界は
自分次第でいくらでも変わっていくんだな








ここからどう行動していくか



急がず焦らず

でも
チャンスを常に探りながらこれからも

泊まれる食堂「おかえり」を作りたい

ずーっと
鬱シリーズ書いてましたが……

やりたいお宿のコンセプトが
ぴたっっと気持ちよくハマったので
そのことについて書きたいなと


あ、すこーしだけ書いたかもしれないけど
私の夢は鎌倉でお宿をやることです


*宿っていうより、食堂のイメージだなあ

「聞いたよ!お宿やりたいんだってね!どんなコンセプトなの??」

最近ありがたいことに
鎌倉の先輩方にこの質問をよくしていただくのだけど

やりたいことがたくさんありすぎて、”コンセプト”を自分の言葉でうまく話せない状態がずっとでした……



この日もある方に聞かれて、コンセプトという言葉にはならぬ自分のやりたいことをたくさん聴いていただいてたわけです
※私の親友が鎌倉に遊びにきていて、お気に入りのカフェへ行った先で、偶然バッタリ出会った鎌倉の先輩と一緒にお話することになるというなんとも可笑しなシチュエーション



その時に前述した言葉をいただき

「なぬ?(´゚ェ゚)」





泊まれる食堂だな


その方はそう仰った

私はそわそわしてた




ひとつ
なにそれめちゃいいなという気持ち


ふたつ
でも私、自分でごはん作る気ないで( ゚д゚)



このふたつの気持ちで
ワクワクにはならぬそわそわ




*本当にやりたいことは何?

私はこの質問を改めて問われていた


宿をやりたい気持ちに偽りはない
でもなぜ相手は「宿」よ「食堂」というイメージを抱いたのか


それは
無意識の私の言葉の端々にきっと現れていたからだろう


でも
悶々する

自分ではなぜ食堂のイメージに繋がったのか、そして自分自身やりたい!とならないのか、わからない


そんな私を見て隣でずっと一緒に話を聴いてくれていた親友がサラッと言ってくれた



「私は宿より、泊まれる食堂のほうが行きやすいかも」

「もりのごはん、やっぱりいいもんね」

「でもね、もりのやりたい気持ちが大切だから、ちがうと思うならちがっていいと思うんだよね」

「一番はもりの気持ちが大切」





私は本当にやりたいことは何かをまた問われているんだなとわかった


そして、どんな形であれ応援してくれる人がこんなに近くにいるんだなということもわかった



さて、私は

宿を主体にしたいのだろうか?

食を主体にしたいのだろうか?





自分に聴いてみるうちに答えは出てきた




*自分の食に価値がつかなかったら怖いという気持ち




私はごはんを作ることが好きだ


お皿を出した時
食べてくれる人のキラキラした眼が好き

作って
誰かに食べてもらって
美味しいって言ってもらえて
お皿の中身がきれいになくなった時

なんとも言えない幸せに包まれる




自分のために作ることも好きだ

どの器を使うのか
どんな配置にするのか
彩りは……

などを考えることがたまらなく楽しい




そう
好きなのである
たぶん自分が思う以上に大好きなのだ



「もりのごはんが食べたい」

そう言って
鎌倉に泊まりに来る友人のみんなも
外のごはん屋さんじゃなくて
私のごはんを食べてくれる子も多い



「もりのごはんは何とも言えないけど幸せがあふれてる」

そんな言葉を言ってくれる子もいる




でも
自分で作ったものを宿で出す気はなかった



価値がつかなかった時が怖いから



美味しいって言ってもらえなかったら?
口に合わなかったら?
自分のごはんに価値なんて……
私それ専門で仕事してないし
そういう学校も行ってないし……
特別に何かうまくできるわけじゃない……
包丁の握り方だって正しくないだろう
そもそもいつも目分量で作るし……
作業も早くはないし……



そういうことを考えると
ごはん作りは私の中であくまでも「好きなこと」に留めておきたい気持ちがあったことに気がついた


ごはん作りを嫌いになりたくない


そう思っていた




*泊まれる食堂「おかえり」を作りたい

そういう時に問いかける言葉がある


「すべてうまくいくとしたら、どうしたい?」








答えは、「やってみたい」だ













やりたい宿のコンセプトが定まった





私はカウンターの中で黙々とごはんを作る
でも黙々としてるように見えて
実はルンルンしている


旦那はニコニコ
ごはんを食べにきた人も
泊まり目的の人もみんなを出迎えて
お酒を準備しながら楽しそうにお話をする


”おーい!手止まってるで!待ってるで!”
私がそんな風に茶々入れすると
”はーい♪そんな焦んなくても、ねぇ♪”
と言ってやっぱりお話しながらお酒を作る



私が作るものは簡単だし
いわゆる家庭料理になるだろう

それでいい
それがいい


どんぶりごはんと
豆皿いっぱいおかずちょこちょこなごはん
もしかしたら定食かもしれない
あとはおつまみが少し



「今日部屋あいてる?」
「もうこのまま泊まりたい!」

「ごはん食べたし寝る!明日は自転車で江ノ島目指す!どこかいいお店あるかなー?」

「それならいいところがあるよ」


地元の人と遊びに来た人との会話が生まれる

壁には鎌倉や逗子のお店の
ショップカードをたくさん貼ってある
お客さんとの写真もある

たくさん食べて飲んでおしゃべりして
楽しむだけ楽しんだら泊まっていけばいいよ
ゆっくり休んでまた明日



決して広くはない食堂
部屋数もそこまで多くはないお宿


居心地は抜群にいい


オオサンショウウオ似の旦那と
ヒトの皮を被ってるけど猫な性格の嫁

場を作るのに欠かせない
夫婦の掛け合いを見るのもたぶんまた面白い




みんなの鎌倉のおうちになったらいいな

泊まれる食堂「おかえり」








このコンセプトが浮かんで
私の気持ちはワクワク、ゾクゾクに変わった



毎日が練習

毎日が実験


そんな日々が最近たまらなく愛おしい