itoいとしほにゃららと。

鎌倉に住むヒトの皮を被った猫のような人の記録。

私は別に普通の人だけど、私のいる世界は素晴らしいと思っている話

いともりです


鎌倉は由比ガ浜通りでは
今こんな光景を見ることができます

街灯に紫陽花ついてるの






*25歳の私シリーズ、お付き合いいただきありがとうございました

随分長くなったあのシリーズ
読んでくださった方々
ありがとうございました


予想外なことに
読んでくださった方々から
ご連絡をいただくこと、いただくこと…


なんか
本当にありがとうございます


色んなお言葉もいただいたので、いくつかピックアップして私が思うことをサクッと書こうかなと思います








*強くないよ、私は自分の弱さや嫌な部分をようやっと認められただけなのです


強いね

と本当にたくさん仰っていただきました



私的にはちょっとこの言葉むずむず




なんというか

強くはないと思うんだなぁ٩( 'ω' )و




強がることは一切やめた


代わりに
ひた隠しにしてきたつもりの
弱いところや自分の嫌な部分を
他人様にどう思われるかはさておき

解放することにした
おっぴろげー_(┐「ε:)_





強がることをやめた

というのは
私的には

嫌われないために完璧な人間で在ろうとすることをやめたということ




嫌われたくない
愛されたい

でも
本当の私では愛されない

だったら
こうすればいいんじゃないか
あれができたらいいんじゃないか


条件があれば
それが増えれば
愛して”もらえる”と思ってた


裏返しすると
相手を
周囲の人々を

「条件付きじゃないとこの人は私を嫌う」
「無条件でこの人は私に接してくれたりしない」

と、それはそれは偏った見方をしていた
失礼も甚だしいね!



もちろん
嫌われることもあるし
受け入れられないこともある


でも
それをビクビクして一体どうするのだ



そんなこと自分じゃ決められないわけで
そもそも相手が決めることなわけで

相手が超絶的に自分を拒絶するなら
相手は自分の鏡だから自分に何かあるのかもだし
そもそもどうしたって合わない人なのかもだし…




好かれよう、嫌われないようにしよう…と
他人軸に合わせて考え過ぎて生きていくことは

疲れる( ̄Д ̄)ノ




残念ながら
心配しなくても
条件などなくとも人は愛されるらしい

たくさんの鎧を背負ってる自分でも
そのことをわかったうえで
愛してくれる人もいるらしい





でも
自分で自分のことを受け入れられていないと

せっかくたくさんの愛情注がれていても
気づかないし愛情飢餓状態だし
受け取り拒否状態なんだな




愛情受け取る器を整えることができるのは自分だけだと思う




自分の弱いところを開けっぴろげにできることを「強さ」というならば
もしかしたら私は少し強くなれたのかもしれない








*嫌われることがまったく怖くないわけではなくて、私の行動の基準が変化したという話

「あそこまで話して怖くないんだね」

うーーーん
まったく怖くないかと言われるとそれも違う




なんというか

人によって物事や行動の基準って色々あって
正解も不正解も世の中にはないと思うけど



前の私は

「これをしたらあの人にどう思われるかな」
「これはあの人には嫌がられるかも」
「これしたら喜ばれるかな」

が行動基準だったのだと思う



(前述したけど)
今の私は

何それ疲れる

と思うようになっている←





”他人にどう思われるか”

そこに理由付けをして行動すると
そりゃあ〜疲れる


だって
予想通りの反応が返ってこないと
ひどくがっかりしたり
一喜一憂するわけで

外の世界に振り回されるばかり





今は

”ぜんぶうまくいくなら私はどうしたいのよ”

が、行動の基準



そこに
返ってくる反応は考えにあまり入れない

だって
うまくいくことを大前提としている




とはいえ
毎日毎回毎秒
うまくいくのか?と聞かれたらんなわけない_:(´ཀ`」 ∠):




でもでも

これでいいのだ。・*・:≡( ε:)


うまくいかなかったり
予想と外れて違うことが起これば

私は人間だから喜怒哀楽あるし
悲しかったら悲しむし
怒りたければ怒るし
イライラするし
カチンとくればそれも言う

もちろん
「仕方ないか」でストンとおさまることもある




感情を相手にぶつけること
そこに後悔は少ない気がする



本当はイライラしてたり悲しいのに
そのマイナス感情出すことで
相手にどう思われるか云々考えることが
疲れる

そして

相手のことばかり考えて
自分のことを無視することはもうやりたくない




ので
私に怒りをぶつけられたお相手はお相手で
カチンとくるだろうし
不本意!!!
と思ってるかもしれないけど…(ごめんちゃい


私は
とりあえず自分の感情の出し惜しみはしない
消化不良にさせないことを選ぶ



というか
勝手に消化不良にして
溜め込んで
我慢できなくなって
後々爆発させる方が面倒だと思うようになった
※前までの私




だから

「怖くないんだね」

の質問に答えるならば
そうではないのだ


行動するための基準・指標が変わっただけ





今回これだけ色々書いた理由は

「どうして鎌倉が好きなのか」
「どうして宿をやりたいのか」

そう聞かれた時に
自分の生い立ちや鬱の体験というものは
マストで必要なものだったからだ



  • 今までの私の生い立ち
  • 鬱になる期間


これらがなければ
私は絶対に宿の発想に至っていないし
鎌倉移住も決行していない

このプロセスは私にとって宝物なんだと自信を持って言えるからだ




怖いとか
怖くないとかじゃない



絶対に実現させたい想いがあり、その想いがどのようにして錬成されたかを私は”書きたかった”のだ





自分軸による行動の結果だし、自分がやりたくてやっているから、ここまであけっぴろげに書いたんだと思う






*すごくないよ、自由にやらせてもらってるのです


こんだけ好き勝手やってるからか

「すごいね」と言われるけど

私はすごいわけではないんだな




周りの方々が素晴らしいんだな

ということは、世界が素晴らしいんだな

世界が優しいということなんだな




これだけ好き勝手やっていても、私のことを好きだと言ってくれる方々がいる

手を差し伸べて助けてくださる方々がいる





ありがたいなぁ
うれしいなぁ

しあわせだなぁ


生かしてもらってます


25歳の”私”が生誕して思うこと

とっっっても長くなった前記事

読んでいただいた方
ありがとうございましたm(._.)m


今回も
とっっっても長いです(毎度ごめんなさい


このシリーズの締め括りに

  • 出来事後の母や弟とのこと
  • この体験から学んだこと

を書いていきたいと思う_φ(・_・




*母と弟からの「ごめんね」と、私生誕との引換のように起こったこと

母から夜中にメールが

高速バスで眠ることもできず
打ってくれたんだろうなと思う


そこには謝罪の言葉がとにかく並んでいて

今までのことに
どんな思いがあったかを知る



------------

もうお家に着いたかな?
今日はありがとう


気づいてあげられなかった

私一人で家族をずっと守ってきたつもりだった

でも
それよりもずっとずっと前に
たった3歳のあなたに家族を守らせてきていた


どれだけ辛かったろうか
どれだけ苦しかったろうか


きっと私は同じことには耐えられない
私なら命を絶っていたように思う


でも
あなたは捻くれることもせず
真っ直ぐに生きてきてくれたね


そんなことも知らないで
今日まで
娘のあなたを疑うことがあったことを
母親としてあなたを守れなかったことを
謝りたい


あなたと父親の関係は
何があるかはまったく想像できなかったけど
親子の距離感じゃないと思うことがあった
嫌悪感を抱いたこともある

それをあなたの弟に話し
弟はあなたを気持ち悪いと言い
ここ数年避けるようになったことは知っているでしょう


仕方ないと思っていた
あなたが悪いと思っていた
母の私もあなたを普通じゃないと見ていた


ごめんね
本当にごめんね


でも
あなたは家族が喧嘩すると
いつも双方の話をしっかりと聞いてくれて
間を取り持つ役割をしてくれた


弟が学校を辞めたがって勘当騒ぎになった時は
東京からその日のうちに仙台に戻ってきて
弟を必死に守っていたね



小さな頃からそうだった



ねえ
あなたは
どれだけのことを耐えて生きてきたの?



これからは母さんがあなたを守るから
もうあなたに辛い思いは絶対にさせない



今まで私たち家族を守ってきてくれてありがとう


これからは
自分の人生を生きてね


------------


後日
弟からも泣きながら謝られる電話があった


どれだけ
お姉に守ってもらってきたかもわからないで
連絡も取れないようにして本当に申し訳ない


俺は父に
母やお姉、親族の愚痴を聞かされたことは
まったくなかった

お姉がずっとそれを俺と母に言わず
一人で受け止めてきたのかと思うと
何もしなかった自分が情けない

何も知らなかった

でも知らないじゃ済まされない

本当にごめん






母と弟は
それとなく感じ取っていたのでしょう


でも
何があったかまではわからない

私も絶対に言うまいと思っていたし
二人もあえて知ろうとはしなかっただろう



けど
二人にとっては
あまりに想像を絶するショックなことだった



二人を傷つけるかもしれない
でも拒絶されるかもしれない

どっちも嫌だ

そっか
それなら私が我慢すればいいんだ


……これは今までの私


25歳の私は
傷つけることや嫌われることが嫌だとかじゃなく

すべて問題なくうまくいくとしてどうしたい?

をベースに考えるようになった




実はこの出来事の後
程なくして
母と弟はほぼ同時に鬱病になってしまう



二人ともひどく自分を責めていた

母は毎晩のように
電話をかけてきては死にたいと言ってたし

弟も電話やLINEをよくしてきて
家に遊びにきてはただただ寝ていたっけ


そんな二人の姿を見ても
私はもう自分を責めることはなかった

助けようとも思わなかった






もしかしたら
この言葉はとても冷たく感じられるかもしれない


でも
断言できる理由が私にはある


それは
自分のことが大嫌いで仕方なくて
人生どん底に落ちて
逃げまくって逃げまくって
でも逃げられなくなって
ようやく観念して
色々やって
「鬱になって本当によかった」
「おかげさまで幸せだと思えるようになった」
「自分のことを好きだと言えるようになった」

私が得た学び



*人は他人に愛してもらうことで幸せになるのではなく、自分自身をまるっと受け入れた時にすでに幸せであったことに気づく

声を大にして本当のことを言って
「こう生きる」と言った直後
大切な人が鬱になった


それでも
私が落ち込むことなく
自分を責めることもなくなった理由のひとつは



人は
他人を救うことはできないし
他人を変えることもできない

もっと言うと
他人に自分を変えてもらうことや
他人に自分を幸せにしてもらうことは
本質的、根本的には違うと考えるようになったから




人は

他人に認めてもらうことや
他人に許してもらうことや
他人に愛してもらうことで
幸せになるのではない




人は

自分で自分をまるっと認められた時
自分で自分を許すことができた時
自分で自分を守ると決めた時
自分が一番に自分を愛すると覚悟した時


その時に
すでに幸せだったことに気づく




自分を救うことはできる
自分を変えることはできる
自分を幸せにすることはできる



すると
世界はいくらでも
しかも
思い通りに変わっていくことを私は知った



自分が変わると
当然の如く
取り巻くものも同じように変化する




そう思うようになったから
そうだと確信しているから
たとえ目の前で家族が鬱になろうとも
まったく自分を責めることはなくなった
何かしようとも思わなくなった


母と弟が鬱になったキッカケは
私の過去の告白であれ
二人の物事の受け取り方によるものである

自分が悪いと責めている結果である




今までの私と
まったく同じことをしていると思った


自分を傷つけて自分を蔑んでいる





そこへ
私は介入できないし
介入したところで
二人自身が心から納得しなければ
まったく意味がないわけで
まったく変化は起こらないわけで


だから
二人自身の力で乗り越えるしかない




「娘が、姉が、虐待を受けていることに気づかなかった」
という事実が
どれだけ自分にとって
かっこ悪く
情けなく
許しがたいことであっても


過去を変えることはできない


過去・事実を認められないあまり
自分を傷つけて責めて生きるほうが
人は楽なのである



でも
それでは幸せにはなれないんだな





私の場合は

「実の父に意味もわからず性虐待を受けた」
という事実が
本当に恥ずかしくて
嫌で嫌でたまらなくて
かっこ悪くて
情けなくて仕方なかった

本当は助けてほしいのに
本当は弱くて仕方ないのに
他人に拒絶されることが怖すぎて怖すぎて
強い自分を装い続けた

私はひどい臆病者だった



そのことを認めることができなかった



でも
「そんな臆病で、かっこ悪い、許しがたい存在も私の一部だ」
と腹落ちさせることができた時に
日々はがらりと変わっていった




その時に
幸せになったというか
すごく幸せであったことや
愛してもらっていたことに気づくことができた




どんだけかっこ悪くて情けなくても
愛される人は愛される
でも
嫌われる時には嫌われるんだなぁ



愛されない
嫌われるに決まってる
と決めつけているのは
意外と自分だけだったりするんだなぁ



そんなことを学んだように思う






*いつだって世界は自分の思い描いた通りになっているという嘘のような本当のハナシ

鬱の時に読んだあらゆる本に書かれていた話



引き寄せの法則とかもそうだと思うのだけど

物事は思い描いた通りになる


読んだ最初は疑ったし
納得なんてできなかったけど
まったくそうだと私も思うようになった





人は生きていれば
いつも何かしらイメージを持ってると思う


私、あの人に嫌われてる
これ、うまくいくのかな
あー失敗したらいやだ

人は知らず知らずのうちに
そのイメージを実現させるための
選択をし続けている



私の場合は
「嫌われている」
「怖い」
「愛されていない」
という超ネガティヴなイメージ



その答え合わせをするように
物事を選び続ける



これは無意識的なことばかりだから
自分でも本当に気づかない



結果
知らぬうちにいつも同じような結果になって

「どうしていつもこうなの?」

と蔑むようになったりしてね




でも

世界は自分の思い描いた通りになるならば

それが
事実だとするならば


どれだけ世界は優しいだろうか



と、考えるようになった





*人は地球に生まれる前から自分の人生という脚本を作って、それを楽しむために生まれてくる

こんな話も
読んでいた本には
決まって書いていたように思う
※先人の知恵とはすごいものだね





胎内記憶の話がある


これは賛否両論ある話だけど
私は信じるというか
そう物事考えると楽しいから受け入れている



私たちは
地球という遊園地へ生まれてくる前に
人生という脚本を作ってから生まれてくる



「私、地球でこういう体験して、それをこんな風に乗り越えて、その先にこういうことを学ぶ!」
と、ぜーんぶ自分で選んでから生まれてくる




でも
すべて覚えていたら
攻略簡単な人生ゲームになるから


記憶をすべて忘れて生まれてくる




もう生まれる前から選んできてるなら
仕方ないじゃんとも思う…笑






そう
人生の他責をしなくなる




”私”の人生は”私”が主役

どんなことも自分で選んで生まれてきた



親も
国も
育つ境遇も
辛い出来事も

ぜーんぶ選んで生まれてきた




誰のせいでもない

”私”が選んだ人生




性虐待をそのように受け入れるには
かなり時間がかかったし
鬱にもなった



けど
結果そう考えられるようになったら


人生は楽しいものなんだ
人生は思い描く通りになっていくんだ


と生きやすくなった





*生きることは楽しいことであり、とても幸せなことである

終わりに



私がこの体験を得て今思うことは

鬱になって本当によかったね、私

ということと

本当に幸せだね
人生って楽しいね
生きるって楽しいね

ということと

もう
早死にしたいだなんて言えないね

ということ




本当に楽しい


あ、大分前に書いた
オオサンショウウオ様に投下された試練もあるし、それはそれで死にたくなるくらい衝撃だったけど笑


でも
やっぱり人生のスーパーマンは現れる

そして
これもまた私が選んだことなのだろうと思うと
落ちるだけ落ちたら、それで終わり





私は感情がある人間、ヒトだから
ショックなことがあれば落ち込むし
泣くこともあるし
イライラしてオオサンショウウオ様を罵倒することも、か・な・りある←おい



でも
某アニメキャラも仰ってるけど
これでいいのだ



完璧である必要なんてないのだから



私は
完璧でなくても
完璧でないからこそ
世界に助けてもらって生きているし
たくさんの人に愛してもらっている


そもそも
自分に不足があると思っていても
相手は思っていなかったりするし


そもそも
足りてないところ含め
私たちはいつだって満点なのだ



感謝しかないじゃないか


生まれてきてよかった
幸せ



今は声を大にしてその言葉を言える




長々とここまで読んでくださった方
シリーズすべてお付き合いいただいた方
ありがとうございました


今の私は
このようにして生まれてきました


色々感じられることはあると思うけど
どうぞこれからもよろしくお願いします


25歳の”私”が生まれるまで⑦

今日は人生最大の山場・課題であった


実の母に20年以上隠してきたことを伝えた時のことを書きます





*母と普通の関係でいられなくなること、嫌われることを私は何よりも恐れた


私が何よりも恐れたことは

親子の縁を切られること



性虐待って
難しい問題だと思っていて


それは
同性の親、私の場合母親に
「子」「娘」として見られるか
「女」として見られるか
ぱっくりと分かれると思うから



私は
「女」として見られて
親子の縁を断たれることを
何よりも恐れた


母は私を普通に見てくれるのだろうか?




信じる信じないという話ではないのよね


大切な人に嫌われることがとにかく怖いという話




母は
私にとってはあまりに大きすぎる存在で
本当に大切な大好きな人


でも
その大好きな母とも
普通に関われなくなったら……??



父が私へ言い続けた
「お前は母さんに嫌われている」
「愛されてなんかいない」
を自分で認めることになってしまう気がして


血のつながりを
自ら断つことになってしまう気がして



ただただ怖かった






*我が家のオオサンショウウオ様からのお告げ

( ̄▽ ̄)
「生まれてからずっと天涯孤独の身の人は、実の親の愛は知らないかもしれない。けど、その分周りに愛されているかもしれない」


( ̄▽ ̄)
「結局、その人次第だよ。俺は親の愛なんて知らない!だからどーのこーのとかひねくれてたらさ、みーんな避けると思わない?」


( ̄▽ ̄)
「まあたとえそこが切れても、俺はどんなみっちゃんでも大好きだから心配しないで!(きらりーん」


( ゚д゚)
「あ、はい(きらりーん……」




怖いのだと話した時
オオサンショウウオ様はこう言った



確かにそうだなぁと納得

どんな境遇であれ
愛される人は愛されるし
嫌われる人は嫌われるんだよね

と腹落ちした
※にしてもこれだけ「好き好きー!」と言ってくれる旦那さんで私は本当に幸せ者だと思う



*恐れを手放して前へ進んで幸せになることへの決意


んでもって
私は執着していたと思う



嫌われないことに

好かれることに

良く見られることに

いい娘で在ることに

愛されることに



それは

自分のことを好きになれない
自分を肯定できないことの
裏返しでもあった


自分で自分を肯定できないから
他人からの愛情で埋めようと超必死




でも

自分で自分のことを好きって言えないと他人からの愛情は受け取れないんだよね





嫌われないように今まで通り取り繕うのか

嫌われようとも本当の自分をオープンにするのか


天秤にかけて後者を選んだ



たとえ親子の縁を切られようとも
これ以上取り繕って生きることはできない

たとえ親不孝者と思われようとも
私は私の思う人生を作りたい

たとえ娘と思ってもらえなくなっても
私は幸せになりたい


この時
結構多くの人に
自分の過去について話すことができて
鬱も良くなりつつあった


血のつながりがなくとも
こんなにたくさんの人に愛してもらってる


執着してるから前に進めない

嫌われてもいい
殴られてもいい
罵倒されてもいい
また鬱になってもいい

当たって砕けろ

今までとは
真逆の選択をするんだ

どんな眼で見られようとも
私は私を一番愛するから大丈夫




そして
その日を迎える




*母の決心


その日は母が東京へ来た

何のためかというと
「心屋仁之助さん」の講演会へ一緒に行くため


私はもうここで話すと決めていた


カウンセリングもいろんな方法があると思うけど、心屋さんの言葉や解釈は当時鬱の私にはかなり響くものだった

だから一度
生で聴いてみたかった

母と一緒に


母も父の不倫で参ってたから
どう受け取るかはわからないけど
聴いてみてもらいたいと思っていた




今でこそ違うけど
母はいつも私に当たりが強くて
この時も開口一番
服や髪型へのダメ出し……笑
※これにも理由があったと後ほどわかるけど



講演会までは時間があったから
お茶しながらずっと父の不倫について話していた

母は気丈だった
本当によく耐えていた

でも
ストレスで本当に痩せてしまっていた


この母に話すのかと思うと
本当に心臓が痛かった

でも、どう受け取るかは母が決めること

そう思い決意は揺らさなかった



講演会は本当に良くて
珍しく母も
「連れて来てくれてありがとう」
「来てよかった」
と言ってくれた
※本当は口にしたいけど口にできないことを声を大にして言うって内容で「クソババア!」とか「私本当は借金があるの」とか「不倫してます」とか「本当は私だけ見て欲しかった」「お母さん、助けて」などなど何百もの言葉を口にした




なかなか
ありがとうとは言われたことがなかったから
びっくりしたことを覚えている


母は高速バスで日帰りするから
新宿まで送っていったのだけど
その道中で

「あのねーずっと黙ってたことあるから言うね」
「今日の講演会聴いて話そうと決心できたよ」

と言って話し始めた




*父は不倫常習犯というカミングアウトw


なんと父は私が3歳、弟が1歳の時に約6年もの大不倫を始めていたw

その時に離婚しようとしたけど
離婚するなら
私は父のところ、弟は母のところへ…
という話が出て
姉弟を離れ離れにしたくない想いもあり
母は離婚に踏み切らなかったらしい


その時
会社のお偉いさんの娘と不倫をしたものだから
当時いた支社からは飛ばされる話になって父は居た堪れず退職した

この退職を私は
「お前が転校を嫌がったから」
とずっと聞かされていたのだけど
本当の理由は違ったことを知った


大不倫は現在進行形を含めて2回

しかし
小さなものも含めると何度あるかわからないとのこと



「腐ってもあなたたちにとっては父だから、否定の眼で見てほしくなくて言えなかった」

「私が耐えればいいと思ってた」

「ずっと隠してきたけど、今の不倫はもうあなたたちにも知れてるし時効よね」

「母さん、強いでしょ」

「子どもたち二人が幸せになれば私はそれでいいから、だから幸せになってね」



母は気丈に作り笑いをしていた

本当に強い人だ
私は泣きそうだった

でも
母もまた弱い人なのだと知った

自分の幸せを
子に、他人に依存していることを知った


やっぱり私のおかんだね



私の心は穏やかだった

人に初めて話した時過呼吸になったのに
今はもうまったく怖くないや

今なら言える
何があっても今なら大丈夫



「おかん、私も20年以上黙ってきたことがあるから聴いてほしい」




*20年以上越しのカミングアウトをしてやっと本当の親子になれた話


母はキョトンとしていた

そりゃそうだ
20年以上前の私は幼稚園児だもんね



母の顔を見ると
鼻の奥がツンっとしてきて泣きそうだった

二人横に並んでいたから
そのまま前を見て
深呼吸をして話し始めた





おかん

もう知ってるかもしれないけど
私ね
おとんに性虐待を受けていた

ちょうど
おかんが今話してくれた大不倫の期間と
丸被りで5,6年されていた

小さい時弟がよく喘息で入院してたでしょ
最初は決まってその時だった

でも
だんだんおかんがいる時でも隠れてされてたし
お風呂でも毎回だった

触られただけじゃない
口に入れられたこともある

小さい時はわけがわからなかったよ
これが普通なのかなと思ってた

でも
性教育とか始まって
自分が普通じゃないことを知った時に
本当に死にたくなった

自分のことが大嫌いになった

斜に構えて
達観してるようでムカつくって
いつからそうなったのって
小さい時は人懐っこくて…なんて
おかん私によく言ってたよね

私ずっと死にたくて仕方なかったの

生まれてこなきゃよかったと思った
女の自分が大嫌いだった

高校生の時には
自傷行為もたくさんしてたの
手首だと眼に見えちゃうし
死ぬ勇気はなかったから
髪の毛抜いたり脚に傷を入れてた

死ねなかった
おかんと弟のことがいつも眼に浮かぶ

おとんには
「お前は母さんに嫌われてる」
「愛されていないんだよ」
「母さんは弟だけが可愛いんだって」
「だから、お前はかわいそうな子なんだよ」
「俺がかわいがってやる」
てずっと言われ続けてた

2月に帰省した時にも言われた

20年以上そうだった

でも
私が黙っていれば
家族は仲良くいられるんじゃないか
崩れないんじゃないかと思っていたよ

違ったよね

帰省した後にEさんに会った話したでしょ
その時にね
このことを受け入れられなければ
子宮も卵巣も良くならないと言われたんだ

びっくりした

でも
自己否定が激しい理由は
性虐待を受け入れられていないからだって
心の底ではわかってた

それで
どうしたらいいかわからなくて
鬱になっちゃった

今は大分元気だよ

でもね
母に本当のことを話さない限り
私は私を生きられないと思った

私はもう嘘をつきたくない

だから話した





母の顔を見ると
母は心底驚いている顔をしていた


「知らなかったんだね、驚かせたね」

と言うと


「どうしてすぐに言わなかったの?!」

と怒鳴られた


でもすぐに

「ごめん、今のは違うね」
「言えなかったよね」
「愛されてないなんて実の父にずっと言われ続けてたら、言えるはずないよね」

と言った





私は清々しかった


20年以上の荷物をやっとおろして
最後の鎧を脱いだ気分だった

身体が軽かった
顔もすごく晴れ晴れしている気がした


こんなに清々しい気持ちは
今まで味わったことがなくてスッとしていた



「おかん、聴いてくれてありがとう」

「私、やっと本当のこと言えた」



おかんは

「他には…?」

「今まで言えなかったこと、ある?」

と聴いてくれた



性虐待のこと
愛されていないと言われ続けたこと
母、弟、親族の悪口を幼い頃から今日に至るまでずっと聞かされていたこと

そういったことを話した



「もう隠し事はないよ」



そう言うと、おかんは言ってくれた



*恐れを手放して前へ進んだことへのギフトはあまりに大きかった


「愛してるよ、大好きだよ」

「あんたは何も悪くないじゃない」

「小さな頃から一人で家族を守ってきたんだね」

「母さん、守ってあげられてなかったね」

「ごめんね」

「あんたは、本当に優しくて強い子だよ」

「がんばったね」

「ありがとう」



もう私死んでもいいなーと思った笑

欲しかった言葉を
言ってほしかった人から
すべてもらったから


勉強で一番になっても
運動で一番になっても
どんな賞をもらっても
通信簿でオール5をとっても
どれだけ他人に褒められても

母は滅多に私を褒めることはなかった



けど

この時本当に溢れんばかりの愛をもらったことを感じた


生まれてきてよかったと思えた


私はもう
母に対してはありがとうしか出なかった



あっという間に時間は経ってバスは来てしまった


お互いに語りつくせないものを感じつつ手を握って、ハグをして

「またね」

と言って別れた



*25歳の”私”生誕


こうして25歳の”私”は生まれた



自己否定の塊だった私
死にたがりの私


そういう私ではなくなっていた



心底笑うようになった


自撮りもしちゃう


「がんばったね」

「これでやっと生きられるね」

と自分に言えた




やっと自分をゆるすことができたのでした

やっと3歳の自分を真っ直ぐ見ることができるようになったのでした

やっと好きな自分に戻れた



とっっっても長いから今日はここで一区切り

読んでくださった方いたら本当にありがとうございます


次回
このシリーズの締め括りということで

  • 出来事後の母からのメール
  • なぜ母や弟は今まで私への当たりが強かったか
  • この体験から学んだこと

を書こうと思う

25歳の”私”が生まれるまで⑥

このシリーズほんと長い(自分で言うか


当初は
3回くらいでおさまるかな!
なんて思ってたんだけど
だんだん書きたいことも増えて
気がついたらすでに倍の投稿数←目測甘い



Facebookでコメントつけてくださる方
わざわざ連絡くれて
「読んでる!」と伝えてくださる方


どうもありがとうございます





今日は
母に話した件について触れようと思っていたけど…


その前に
私的には今思い出すと笑える
「好き」
「ワクワク」
「楽しい」

の感覚を取り戻すまでのことを書こうかと






*「何かをしなければ、残さなければ、愛されない」という世の中に対する大きな勘違い

さて

”自分自身”に

「てめえ、此の期に及んでまだ逃げるのか!ビクビクしてんじゃねぇよ!( ´_ゝ`)」

と、それは強烈な右ストレートをくらい←

くらっただけでなく
もはやダウン奪われKOしたわけなんだが←




その時に(ようは寝たきり時)
ほやほやっとした”夢”が生まれました




この時生まれた夢が”宿”

まだふわふわしていたけど
キーワードとしては出てきていた


今日書きたいのは
早死にしたかった人間が
鬱の私が
”夢”を持つまでになったということ
”やりたいこと”を見つけたということ

そうなるまで
何をしてきたかというところ






不明確であれ
”夢”を持つなんて
それまでの私にはなかった感覚だった




なぜかというと

「私は何をやりたい」
ではなく

「何をやるべきか」
「何を与えなきゃいけないか」
「何なら喜ばれるか、価値提供できるか」

を考えて行動していたから



今思うと
超ドン引き_:(´ཀ`」 ∠):ぐふっ




ただこの時の自分を擁護するならば

「何をやりたい」
なんて
私は望んだらいけない人間なのだと
本気で思っていたし


そんでもって
何かをしなければ愛されない
何かできなければ居てはいけない
と本気で思っていた

※実際何かやりたいことがあって話せば、父は「俺は同じ歳の時そんなこと許されたことはない」と100%否定&ブチ切れだったので、怖い・面倒くさいという気持ちが先行して、話すこともなくなったし、考えることも放棄するようになったと思う
※結果、怒られないことは何か、仕打ちを受けないことは何か、なるべく喜ばれることは何か、面倒くさい結果にならないことは何かをを考える癖がついたと思う




そんなことは大きな勘違いであり
”何かしなければ”と考えているということは
見返りを求めているなぁと今は思う


それよりも先に
人は自分が満たされていなければ
誰かに何かを与えるなんて
本当の意味ではできないのだと
今なら思う



*子どもに戻ったつもりで、色んなことに手を出してみた


そんな私だから
「好き」「ワクワク」「楽しい」
という感覚は長年失っているに等しくて


人に
「何が好きなの?」
と聞かれても
まっっったく答えられなかった


義務感から物事選ぶんだもん
そりゃ楽しくないわ←




寝たきりになって
”宿”というキーワードは出たけど
それを明確にしたくて
本当なのか確かめたい気持ちもあって
社会復帰のリハビリを兼ねて



本気でね
本気で…

読書がんばったり
ぬり絵やってみたり
アロマオイルとか
ハンドクラフトのワークショップとか
ヨガとか
資格とか
色々行ったりやったり調べたりしたわけですよwww
※今思うと、ほんと笑える



本当に色々やって
やっと
「やっぱりこれが好き」
というものを感じられるようになり


”宿やりたい”
と明確に考えるようになったわけです





その色々の中でひとつ
飲食店巡りがありました





*無意識にストレスフリーに行っていたことに隠れていた「ワクワク」のヒント


もともと一人で食事したり
お店発掘は大好きだったし

単純に食べることがとにかく好きだから
飲食店巡り
と、その時までは思っていた

あとは人がたくさんいる中に行って
人慣れしたいことも目的だった




その時も
あるカフェで一人で食事してたんだよな




で、いつも何してるって
その時まで気づかなかったのだけど…

私はただ食べてるわけではなかった



まず店員さんを目で追って所作を見る

わーこの人歩き方きれいだわー
指先まで気遣う人だわー
あ、この人はすごい視野広いなー


服装を見る

ユニフォームかなー?
私服なのかなー?
かわいいなーかっこいいなー


グラスを見る

ここは洗い物しっかりしてるんだなー
グラス私にはちと大きすぎるかなー


待ってる間に空間を見る

テーブルいいなー
ソファの質感好きだな…
ここにほこり溜まらないてことはすーごい掃除してるんだなー
天井の感じ好きだなー
窓の大きさいいなー
あそこにグリーン置くのは何か意図があるのかなー


料理が来る

この店員さん置き方丁寧だわー
去り方も丁寧だわー
お皿かわええ!
どこの皿だ!
盛り付けいいなー
自分でもやりたいなー
写真写真……


いやいい店ー!
メモメモ…………_φ(・_・






はう?!( ゚д゚)





ここまで頭ぐるぐるさせて疲れないとか

これが好きなことなんじゃないか?!

わざわざメモまでするなんて
今まで気づかなかったけど
結構好きなんじゃないか?!





*気づくことができた私の好きなあれこれ


で、その時
泣くくらい嬉しかった

あーよかった
私好きなものあったんだ

なーんて思った



色の組み合わせや形を見たり、自分で組み合わせることが心底好きだと気づいた


食べることが一番好きだけど
どうやら作ることも好きらしい

スパイスとか勉強してみたいなとも思ったり

あとは食に関する”器”も好きで
器と食材の色を見たりすることがとても好き

ゆえに
懐石料理とかすごく惹かれるし
ワンプレートでも食材の色遣いや配置が気になる


  • 空間を作る

部屋を作ること
家の中を色々コーディネートすること

インテリアはもちろんだけど
家具や照明を使って
限られたその空間をどう彩るか
見た目だけでなく
機能的にどう住みやすくするか
諸々含めてどうしたら満たされた空間になるか

これを考えることが好きだと気づいた





「衣食住」


そのものだなと私は思う。




どれかひとつではなく
生活を営むうえで関わり深い
これらをコーディネートすることが
とても好きなのだと気づいた


だから
飲食店でずっと働き続けたし

食だけに目を向けるのではなく
空間デザインやユニフォームにも
納得できるかどうか
いつもそこを重視していたのだとわかった



これら好きなことに気づいたからこそ
”宿”という発想がほやほや生まれてきたことにも
深く納得できたし
”自分のための衣食住を感じられるような宿”
というイメージにもつながる



*「好き」「楽しい」「ワクワク」を仕事にした今


こうして
自分の好きなもの、満たされるものに
やっと気づくことができて

その日はとにかくワクワクした




これらに携われることができたら
私は毎日どれだけ幸せだろう


好きなこと、ものに
毎日触れられる環境を自分で作れたら
どう変化していくのだろう




これが
今の仕事につながる




ご存知の方もいらっしゃると思いますが
だから私は今の仕事を選びました






結果

毎日が幸せで
毎日が実験で
毎日が楽しくて

ワクワクして働いています





学生時代
仕事に関する視野がとても狭かったと思うし
義務感で仕事をしていた鬱直前の私に
言ってあげたいと思う




自分のワクワクや好きに従って仕事して
全然いいんだよ






このおかげもあってか
精神的にも少しずつ健やかになり
社会復帰していくのでした






ここまで身を以て
多くのことを学んで
気づかせてもらって

かなり精神的にも安定してきたところで

人生最大の課題であろう
「実の母へ打ち明けること」へ向かう



やっとこさ山場

次回こそ
母に打ち明けたことについて書きたい

25歳の”私”が生まれるまで⑤

前記事は
旦那さんを褒めちぎるような文章でした…

が、最近この人のおかげで
数日鬱になったので
そのうちぶった斬る文章も書きます←



さて今日は
娘だと言って可愛がってくれた恩人に話したときのこと、その時の私のことを書こうと思う。




*「お前さえ耐えれば家族は壊れないかもしれない」という言葉を恩人に言い渡されるという人生の課題


恩人の方に話すまでの間に

友達二人
旦那のお母さんには話すことができて
その度に固定観念を壊してもらい

その度に
どれだけ周囲の人を信頼していなかったか
どれだけ自分は臆病な人間だったかを
気づかせてもらい

その度に
どれだけ無条件に愛してもらっていたか

痛感していくのでした




そして
恩人の方に話すことにした

この方は
私の両親が結婚する前から
二人がどんなだったか知っている数少ない人で
私が上京してくるにあたって
親代わりをしてくださってた方です




その人に話した時


両親には絶対に言うな
他人にも絶対に言うな

お前さえ耐えれば
家族は壊れないかもしれない

お前だって
家族が壊れることは嫌だろう?

それに
こういう話は
みんながみんな受け入れる話じゃない

お前がこの先傷つくかもしれない

今話してスッキリしたなら
もう死ぬまでこのことは他言するな


と言われた






それまでは
少しずつ周りに打ち明けていくことで
自分が全否定してきた生い立ちを
受け入れていきたいと思ってた



けど

尊敬する大恩人にこのように言われて
揺れ動き
一度
「やっぱりやめたほうがいいのかもしれない」
「やっぱりやめよう」

と思いとどまった






*本心を偽ることを”私”はもう許さなかった


その日の夜中のこと



突然の嘔吐
まったく止まらず


これだけ吐くと脱水起こすな
やばいかもしれないなと思い
水を飲むも
それもすべて吐く

さすがに焦る
水を飲めないだと:(;゙゚'ω゚'):


でも嘔吐は止まらない

もう出すものもないのに
いつまでも嘔吐は止まらない


そのうち手足が冷たくなって
全身の痙攣がはじまり
立ち上がることができなくなり
目がチカチカして
呼吸が苦しくて
意識を失ったらしい



また吐き気で目が覚めると
トイレの横で倒れていた


「さすがにやばいか?」

「どうして急にこんなことに?」

「食べたものが悪かった?」

「風邪か?」





痙攣しながら
吐きながら
目眩を起こしながら
ぐるぐると考えて



ひとつ
腹の底から出た言葉があった

私はこの時のこと忘れないだろうなと思う





「憎い」



という言葉







父に対してもだろう
過去の自分に対してもだろう

そして
本心はどうしたいかわかっているのに
未だに逃げようとした
今の自分に対してだろう





もんのすごい
ドロドロしたどす黒〜い感情が出てきて

「今まで20年以上見て見ぬ振りしてきたものの積み重ねだろうな」
と思った





旦那に助けてもらって
熱をはかると40℃ちかい

脱水症状も起こしている

けど
完全に精神的なところからきていると
自分で理解していたから
病院へ行くことはなかった
※正しいかはわからないけど







それから丸1週間

私は身体を動かすことができなくなった




食事もできない

なんとか水分だけは飲める

トイレとベッドだけを往復する生活

身体も臭ってくる

髪もボサボサになる

ごはんも作れない

家事なんて何もできない







申し訳なかった
恥ずかしかった


この時は、旦那に対してそう思っていた




あまりに情けなくて
あまりに惨めで

私は謝った

こんなになってごめんなさい
迷惑かけてごめんなさい
臭いし
ごはんも作れないし
ごめんなさい
私は恥ずかしい






この時に
また旦那はいつもの調子であることを言った






*生きているだけでいいんだよと言葉にして伝えてくれる人

( ˘ω˘ )
ほんとに馬鹿だね、みっちゃん


(;_;)
………ごめんなさい


( ˘ω˘ )
あのね
よく聞いてね

生きてるだけでいいの

何かできるからいいとかじゃないの
いてくれるだけでいいの


(;_;)
どうして?
いいの?
何かしなくていいの?


( ˘ω˘ )
ごはん作れなくてごめんなさいとか
臭くてごめんなさいとか
ほんっっとに馬鹿じゃないの?

そういうところで価値を感じるんじゃないよ
いてくれるだけでいいんだよ
どんなになってもいいよ


(;_;)
何それわからない
私仕事もできないのに



( ˘ω˘ )
いてくれるだけでいい
生きてるだけでいい
みっちゃんが元気で笑えるようになったら
もっといい

でも
今のグダグダみっちゃんでもいい

これでもまだ自己否定するの?


(;゙゚'ω゚')

グダグダでもいい…ですと…?



_(:3 」∠)_
そうだよーいいよー
みっちゃん真面目すぎだよー

別にいいでしょ
人間なんだし
みっちゃんの場合軽く20年分溜めてるから
ハイパーグダグダでしょ

もう苦しむのは十分
十分すぎるくらい耐えてきてるよ

ごめんなさいするなら
自分に対してごめんなさいだよ


(;゙゚'ω゚')

自分に対してごめんなさい…?



( ˘ω˘ )
そうだよ
自分にごめんなさいとありがとう
今まで我慢ばかりでごめんなさい
耐えてくれてありがとうございますでしょ
自分を労われってこと


そうだ、みっちゃん
それなら、大好きな鎌倉行っておいでよ




そう
この時にげんちゃんは
私に鎌倉へ行く提案をした


私は引きこもりの寝たきり状態

人と会いたくないレベルMAX



でも
自分のための時間を過ごす場所として
鎌倉を選んだ





*誰に何と言われても、自分のために自分の力で歩くことの腹を括っているか確認する課題



私は

大恩人というような人から本心とは真逆のことを提案されても、自分の本心に従うことができるか?
自分の本心を自分自身で実現する気は本当にあるか?

というところを試されたと思っている。
人生の課題のひとつだったと思っている。



これまでは
「父に言われたから歯向かえない」
だった




今回は
「恩人に言われたから…」と
また自分の本心とは違うレールに沿って歩こうとした


けど
もう私自身がそれを許さなかった


だから
無理矢理にでも足を止めるために
気づかせるために
1週間寝たきりの状態になったんだと思う





*本心・直感・本当はどうしたい?に従って生きるとそれを実現させようと世界は回り始める

ということが
この経験で知ったことである。



本心を無視した時
実現の流れがあるのに
それを自ら止めようとした時
もう動けないような身体の状態になった。


こうなると
否が応でも考えさせられる。





そしてもうひとつ知ったこと


どれだけ身体にいい生活をしていても、心が幸せじゃなければまったく意味を成さないということ。




よく、某ハンバーガーを毎日食べていても長生きしていて健康な人もいると聴く。

化学的なところを言えばどんなもんかなと正直思うところはある。

でも
元気で健康でいるのは、食す人の心がきっと幸せで満たされているからだと思う。

幸せなのだから
病など巣食うこともないのかもしれない。





寝たきりになるまでの私自身の食生活はかなりいいものだったと思う。
栄養バランスもかなり配慮したものだったという自負がある。




それでも倒れる時は倒れる


一過性のものだったけど
私の考えを覆すには十分すぎる経験だった。




身体を作るためにもちろん栄養素は重要。

しかし
理論よりも心の方が
※心というよりも腹の奥底にいる自分というか何というか
比べ物にならないほどに
今の自分はどうすべきかを知っている。







私はこの後に鎌倉へ行くことになる。
私にとっての鎌倉は幸せになれる愛しい場所 - itoいとしほにゃららと。
このお話につながっていく(o'ω')ノ






*「できない」と言ってチャンスを放棄してきたのは、すべて私だった


「本当はこうしたい」

「でも、◯◯だからできない」

というのは

実はそれは本気でやりたいことではないのかもしれないし

◯◯のせいにして
自分の力で自分の願いを実現させることから
逃げているのかもしれない






私の場合はひたすらに逃げてきた。




本当は誰よりも愛されたかったし

父に歯向かってみたかったと思う

「気持ち悪いんだよクソジジイ!」
くらい言いたかったと思う


お前は嫌われてる
お前は愛されていない

と言われ続けても
ちがう!と否定したかったと思う




けど
「そうか嫌われてるんだ」
「こんな私にはできないんだ」
と思い込んで
判断して
ことごとくチャンスを取りこぼしてきたのは
チャレンジさえしないことを選択してきたのは

紛れもなく私自身

他の誰のせいでもない

私が選んできたこと

つまり
私が望んだ通りの人生を歩んできた





「じゃあ、真逆のことをしたらどうなる?」

「愛されているということを自分の力で自分自身に証明できたら?」

「やってみたい」



私は実の母へすべて打ち明けることを決めた。



次回はこの時の話かなぁ

25歳の”私”が生まれるまで④

なんとか続いてる自分史更新

いつも長くて長くて
自分でも
こんなに書くことあるんかい_(:3 」∠)_
と突っ込みたくなってます。笑



今日は…

この人に
自己開示をした時のお話を。





*どうやら人は本当に言いたいことを長年言えてないと、声が出なくなるらしい


決断をしたものの

20年以上
ほぼ誰にも話したことがないことだから

それはもう緊張と恐怖と不安で
吐きそうになってました_:(´ཀ`」 ∠):←



すでにこの時引きこもっていたこともあり
いつにも増して重苦しい雰囲気


「話さなきゃいけないことがある」

「誰にも言えなくて20年以上黙ってきたことがある」


までは言えるものの
その先が口を開いても音にならない
”声”として出てこない


パクパク、パクパクずっとしてて
なんてこったい
こんなことになるんかい:(;゙゚'ω゚'):

と焦った記憶がある


そのうち過呼吸のようになってきたから
旦那のげんちゃんも

「……どうしたの?」

と深刻な表情になってくる




あのね
20年以上
怖くて母親にさえ
言ったことなかったんだけどね



父親に性虐待を受けていた


そんな自分が気持ち悪い
そんな自分が大嫌い
当時は小さくて何もわからなかったとはいえ
そんな経験がある自分がかなり気持ち悪い


私、自己否定すごいよね
いつも自信なくて
ほめられることが苦手で
何をがんばっても達成感がまったくない


早死にしたいって言ってたこともあるよね
こんな経験してて
子どもも産めないと言われて
女として生まれてこなきゃよかったと
心底思ってた
だから
若いうちに早死にできたらいいと思ってた


でも
できないと思ってた結婚をげんちゃんとして
やっぱり子ども諦めたくなくて
ハーブ療法とか学ぶようになった
お客様もできた


最近必死にがんばってたけど
がんばれなくなった

メンターの方に
「表面上の言葉だ」
と言われて反発したけど
たぶん表面上の言葉だった

私、がんばりたくないのにがんばってた
他人のせいにしてがんばってた
他人に認められたくてがんばってた

自分のためにがんばってなかった


Eさんに会って話して
そういうことを自覚した

その根っこにあるものが
性虐待受けた私は価値がないって思いで
この経験を受け入れられてないってことで


でも
私平気です、気にしてません
ってフリして嘘つくことが嫌になった

もう一人で黙っていることが嫌になった

喜怒哀楽をちゃんと表現したい

もう自分に嘘つきたくない

誰かのためと言って
自分の選択を他責するような生き方はやめたい

誰のせいにもしない
自分は100%どうしたいかで生きたい

だから
それを始めたいから
一番嫌われたくない人に一番最初に話したの



そーんなことを
ポツリポツリ
過呼吸になりながら話してたと思う



しかし
次の言葉に
目の前の人の表情に
私は拍子抜けさせられたのである………








*一世一代の黒歴史告白に「よかったーーー!!!」と満面の笑みで言い放った旦那

えええええー!!!
:(;゙゚'ω゚'):


今!
この人!
よかったーーー!!!!て!

ええええー!!!!!




唖然。

開いた口が塞がらないとは
たぶんこの時のことを言うんだと思う←



(;゙゚'ω゚')

何言ってるの…どゆことよ…



(੭ु´͈ ᐜ `͈)੭ु⁾⁾

え、だって
みっちゃん誰かに何かをしたわけじゃないもん

みっちゃん
誰も傷つけてないもん
自分のことは自分で相当ボロボロにしてるから
馬鹿だなこいつと思うけどね


(;゙゚'ω゚')

ばか……………???



(੭ु´͈ ᐜ `͈)੭ु⁾⁾

あんたやっぱり馬鹿だねぇ


(;゙゚'ω゚')

ば、ばか…………ですと……2回目……



(੭ु´͈ ᐜ `͈)੭ु⁾⁾

そうだよー
なんてまあヘビーなこと
ずっと独りで抱え込んでるのよ
よく生きてたねこれは


(;゙゚'ω゚')

お、おう…………



(੭ु´͈ ᐜ `͈)੭ु⁾⁾

あんまり黙ってるから
実は殺人事件でも起こしてるとか
言われるのかと思ったよ〜
あーよかったよかった♪♪(寝る準備ごそごそ


(;゙゚'ω゚')

……(私にとってはよくないんやで…!)


(੭ु´͈ ᐜ `͈)੭ु⁾⁾

あのねー
それしきのことで
俺だけじゃなく
みんなきっと
みっちゃんを嫌いになんてなってあげないよ



( ゚д゚)

嫌いに…ならない…???
気持ち悪くないの?



(੭ु´͈ ᐜ `͈)੭ु⁾⁾


何に対して?


( ゚д゚)



(੭ु´͈ ᐜ `͈)੭ु⁾⁾

やっぱりあんた馬鹿だね♪♪

(;゙゚'ω゚')

………(馬鹿3回目やで…!)



_(:3 」∠)_

じゃあ
みっちゃんは
俺がそういう体験とかしてたら
嫌いになったり
気持ち悪いと思うのー?



(°_°)

ならない



(੭ु´͈ ᐜ `͈)੭ु⁾⁾

そゆことー同じー
自信持ちなさい
みっちゃんは愛されている
みっちゃんのことを
好きな人はたくさんいるって俺は知ってる

俺だけじゃなく
他の人にも話してみたらいい

絶対みんな
お前のことは助けるよ


もうやめなさい

独りでウジウジすることも
自分のこといじめるのも

いい加減
ゆるしてあげなよ









*がんじがらめの鎧をひとつ脱いでみた時、世界はあまりにも明るく色を変えてしまった


こうして
一番嫌われたくない人には
笑い飛ばしてもらって終わった自己開示。




だから私はあなたと結婚したのだろう



自己否定ばかりの私だったから
プラスマイナスゼロになるように
半分こになるように
ちょうどよくなるように
ポジティブの塊のようなこの人と
結婚することになっていたのだろう







自分の中で世界がひっくり返った瞬間でした



私の中では死にたいほどの出来事だったのに
それを笑い飛ばす人が世の中にいると知った

なんてことない
嫌いになんてなってやらない
馬鹿だねと
笑ってくれる人がいた


まさかそれが
旦那だとは思わなかったけど







世界がひっくり返った私は
ここから紆余曲折はあるけど
どんどん新しい世界を開いていくようになる

その中で
もう一度立ち止まるのだけど
「その選択は違う」
と教えてくれたのは自分自身でした

次回はそんなお話になるんじゃないかな

25歳の”私”が生まれるまで③

思いの外長くなってるこのシリーズ
誰得なのかわからないこのシリーズ

それでも書く私_(┐「ε:)_おーいえー



また昨日の続き



*”誰かのため”の自己犠牲は、結果何も生み出すことはない


高校生の時、
子宮を患っていることがわかった私は

「子どもは産めない」
と言われたこともあり
毎日もんのすごーく卑屈になっており( ´Д`)y━・~~


その中で
フラッシュバックするようになった体験がひとつ


それが、性虐待






子どもを産めない身体

ぷらす
5,6年に及ぶ性虐待を経験している

相手は実父






いったい
女に生まれた意味、価値が
私のどこにあるというのか

男に生まれていたら
こんな思いしなくてよかっただろうか

というか
人としてどうなのよ


毎日こんなことばかり考えていたら
自分の存在がとにかく気持ち悪くてたまらず
気づけば自傷行為をするようになり_(:3 」∠)_

でも
誰にも頼れず_(:3 」∠)_

嫌われること
家族がバラバラになることが
怖くて怖くて
もっぱら
「ワタシハダイジョウブ」
という顔をして_(:3 」∠)_


もうパンクしてしまったのでした_(:3 」∠)_



一度
性被害に苦しむ女性のための支援団体のようなところへ電話をかけて、学校をサボり、代表の方に会っていただいたことがありました。

何も知らない人だからこそ
失うものがないと思って
怖がらずに話せたと思う。


「よく耐えてきたね」
「よく話してくれたね」

と言っていただいて
その時はその時でスッキリしたものです。




そして
その時に質問された言葉

「訴えようと思えばそれもできる。あなたはどうしたい?」




私は

「そんなことは望んでいないです」
「大丈夫です」
「父のことは恨んでいませんから」

と答えていた。




この時、私は”いい子”を装ったのだと思う。

法的に訴えようと思っていなかったことは本当。

でも、
大丈夫です
恨んでいません
という言葉は本当ではなかったと思う。



あちらの方も
「我慢することも、無理することもないんだよ」
と何度も言ってくださっていた。

それでも私は

「父がかわいそう」
「家族を壊したくはない」

と言って

これで解決した
スッキリした
もう誰にも言わなくて大丈夫

と決めてしまったのでした。



私はこの時
父と家族を理由にして
人生の課題から逃げたのだと思う。


自分が幸せを感じていないことを
他人のせいにすることで
楽な道を選んだのだと思う。


父がかわいそう
家族を壊したくない

だから、私が我慢すればいい

そうすれば
きっと家族も今まで通りでいられる



こうして私は
「自分は本当は何を望んでいるのか」
ということに目を向けることを放棄しました。



結果何も生むことはなく
数年後にまた同じ壁として現れたと思っています。



*あの時の選択が違ったならば、今度は真逆のことを試してみる勇気を出す


あの時の決断は違ったということなのか


私はあの時
本当は何を望んでいた





色んな本を読んだり
著名なカウンセラーさんや女性支援をしているような方のブログを読んだり
心理学や哲学の知識を漁ったり


最初は外に答えを求めた




でも
それはあくまでも他人の見解







引きこもって
考えて考えて考えて

出た答えは

「本当は誰かに頼りたかった」

「一番は母に頼りたかった」

「隠してニコニコすることはしたくなかった」

「気づいてほしかった」

「助けてほしかった」

「たとえ汚い経験をしているとしても、世間的にタブーなことをしていても、変わらずに”愛している”と言われたかった」

ということ。






同時に思い知らされたことは

私は
自分の望みや自分自身を
”誰かに”否定されるかもしれないという
とても不確定な
とても曖昧な
恐怖を自分で作り上げて
ずっとずっと逃げ続けていただけだという事実。






「こんな私は価値がない」
「こんな私は愛されるはずがない」
「こんな私は嫌われるに決まっている」

そう決めつけていたのは
他の誰でもない私自身であったということ


それはつまり
目の前の人や
今まで良くしてくれてた周りの方々の
”心”や”在り方”を
心底信じていなかったということ
”この人は私を嫌うかもしれない”
という疑いの眼差しで見てきたということ




私は

自分の思い通りにならなくて
自分の理想通りに物事が進まなくて
その時に傷つくことが嫌だから
都合が悪いと他人のせいにして
自分自身の弱いところを
大嫌いで否定したくてたまらないところを
見過ごしてきただけなのではないか?







思いっきり見返りを求めているじゃないか



価値がないと自己否定をしながら
そのくせ
誰かに認められたいだけじゃないか




自分の人生や
自分の感情を
主体的に考えていないではないか






今まで逃げてきたことを自覚しました


自分自身を認めること

どんな自分でも大丈夫だと胸を張ること

たとえ誰も隣にいなくても
私自身だけは私を否定しないと腹を括ること





Eさんが仰っていたことがやっと腑に落ちた


「あなたがあなたをゆるして大切にしない限り、どれだけの愛情をプレゼントされていても、何も受け取ることはできないんです」





大嫌い

気持ち悪い

消したい

自分の身に起きてることをまったく理解できていなかった、3歳の自分を。




ずっとそう思って生きてきたけど

「ゆるす」とは
そんな自分も私の大切な一部だと
嫌いな存在をゆるして認めることなのかなと思う。





もう逃げたくないな

もう嘘をつきたくないな

もし子どもができたら
自己否定ばかりなお母さんは嫌だな



変わりたいな







決断した。


それは
20年以上黙ってきた性虐待のことを身近な人へ少しずつ打ち明けていくこと。


これをしない限り、
多分私は変わることができない。


荒療治のようだし、聞かされる他人のことなんてひとつも考えてないけど、そうすることが自分にとっては正解な気がする。




自分が一番他人に知られたくないこと

自分にとって一番惨めに感じていること


それを隠し続ける限り
私は自分の弱さから逃げ続けることになるのだろう。






最初に話す人は決まっている



一番大切で
一番失いたくない人だからこそ

最初はこの人へ話すことにした