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itoいとしほにゃららと。

鎌倉に住むヒトの皮を被った猫のような人の記録。

25歳の”私”が生まれるまで③

思いの外長くなってるこのシリーズ
誰得なのかわからないこのシリーズ

それでも書く私_(┐「ε:)_おーいえー



また昨日の続き



*”誰かのため”の自己犠牲は、結果何も生み出すことはない


高校生の時、
子宮を患っていることがわかった私は

「子どもは産めない」
と言われたこともあり
毎日もんのすごーく卑屈になっており( ´Д`)y━・~~


その中で
フラッシュバックするようになった体験がひとつ


それが、性虐待






子どもを産めない身体

ぷらす
5,6年に及ぶ性虐待を経験している

相手は実父






いったい
女に生まれた意味、価値が
私のどこにあるというのか

男に生まれていたら
こんな思いしなくてよかっただろうか

というか
人としてどうなのよ


毎日こんなことばかり考えていたら
自分の存在がとにかく気持ち悪くてたまらず
気づけば自傷行為をするようになり_(:3 」∠)_

でも
誰にも頼れず_(:3 」∠)_

嫌われること
家族がバラバラになることが
怖くて怖くて
もっぱら
「ワタシハダイジョウブ」
という顔をして_(:3 」∠)_


もうパンクしてしまったのでした_(:3 」∠)_



一度
性被害に苦しむ女性のための支援団体のようなところへ電話をかけて、学校をサボり、代表の方に会っていただいたことがありました。

何も知らない人だからこそ
失うものがないと思って
怖がらずに話せたと思う。


「よく耐えてきたね」
「よく話してくれたね」

と言っていただいて
その時はその時でスッキリしたものです。




そして
その時に質問された言葉

「訴えようと思えばそれもできる。あなたはどうしたい?」




私は

「そんなことは望んでいないです」
「大丈夫です」
「父のことは恨んでいませんから」

と答えていた。




この時、私は”いい子”を装ったのだと思う。

法的に訴えようと思っていなかったことは本当。

でも、
大丈夫です
恨んでいません
という言葉は本当ではなかったと思う。



あちらの方も
「我慢することも、無理することもないんだよ」
と何度も言ってくださっていた。

それでも私は

「父がかわいそう」
「家族を壊したくはない」

と言って

これで解決した
スッキリした
もう誰にも言わなくて大丈夫

と決めてしまったのでした。



私はこの時
父と家族を理由にして
人生の課題から逃げたのだと思う。


自分が幸せを感じていないことを
他人のせいにすることで
楽な道を選んだのだと思う。


父がかわいそう
家族を壊したくない

だから、私が我慢すればいい

そうすれば
きっと家族も今まで通りでいられる



こうして私は
「自分は本当は何を望んでいるのか」
ということに目を向けることを放棄しました。



結果何も生むことはなく
数年後にまた同じ壁として現れたと思っています。



*あの時の選択が違ったならば、今度は真逆のことを試してみる勇気を出す


あの時の決断は違ったということなのか


私はあの時
本当は何を望んでいた





色んな本を読んだり
著名なカウンセラーさんや女性支援をしているような方のブログを読んだり
心理学や哲学の知識を漁ったり


最初は外に答えを求めた




でも
それはあくまでも他人の見解







引きこもって
考えて考えて考えて

出た答えは

「本当は誰かに頼りたかった」

「一番は母に頼りたかった」

「隠してニコニコすることはしたくなかった」

「気づいてほしかった」

「助けてほしかった」

「たとえ汚い経験をしているとしても、世間的にタブーなことをしていても、変わらずに”愛している”と言われたかった」

ということ。






同時に思い知らされたことは

私は
自分の望みや自分自身を
”誰かに”否定されるかもしれないという
とても不確定な
とても曖昧な
恐怖を自分で作り上げて
ずっとずっと逃げ続けていただけだという事実。






「こんな私は価値がない」
「こんな私は愛されるはずがない」
「こんな私は嫌われるに決まっている」

そう決めつけていたのは
他の誰でもない私自身であったということ


それはつまり
目の前の人や
今まで良くしてくれてた周りの方々の
”心”や”在り方”を
心底信じていなかったということ
”この人は私を嫌うかもしれない”
という疑いの眼差しで見てきたということ




私は

自分の思い通りにならなくて
自分の理想通りに物事が進まなくて
その時に傷つくことが嫌だから
都合が悪いと他人のせいにして
自分自身の弱いところを
大嫌いで否定したくてたまらないところを
見過ごしてきただけなのではないか?







思いっきり見返りを求めているじゃないか



価値がないと自己否定をしながら
そのくせ
誰かに認められたいだけじゃないか




自分の人生や
自分の感情を
主体的に考えていないではないか






今まで逃げてきたことを自覚しました


自分自身を認めること

どんな自分でも大丈夫だと胸を張ること

たとえ誰も隣にいなくても
私自身だけは私を否定しないと腹を括ること





Eさんが仰っていたことがやっと腑に落ちた


「あなたがあなたをゆるして大切にしない限り、どれだけの愛情をプレゼントされていても、何も受け取ることはできないんです」





大嫌い

気持ち悪い

消したい

自分の身に起きてることをまったく理解できていなかった、3歳の自分を。




ずっとそう思って生きてきたけど

「ゆるす」とは
そんな自分も私の大切な一部だと
嫌いな存在をゆるして認めることなのかなと思う。





もう逃げたくないな

もう嘘をつきたくないな

もし子どもができたら
自己否定ばかりなお母さんは嫌だな



変わりたいな







決断した。


それは
20年以上黙ってきた性虐待のことを身近な人へ少しずつ打ち明けていくこと。


これをしない限り、
多分私は変わることができない。


荒療治のようだし、聞かされる他人のことなんてひとつも考えてないけど、そうすることが自分にとっては正解な気がする。




自分が一番他人に知られたくないこと

自分にとって一番惨めに感じていること


それを隠し続ける限り
私は自分の弱さから逃げ続けることになるのだろう。






最初に話す人は決まっている



一番大切で
一番失いたくない人だからこそ

最初はこの人へ話すことにした