itoいとしほにゃららと。

鎌倉に住むヒトの皮を被った猫のような人の記録。

25歳の”私”が生まれるまで⑦

今日は人生最大の山場・課題であった


実の母に20年以上隠してきたことを伝えた時のことを書きます





*母と普通の関係でいられなくなること、嫌われることを私は何よりも恐れた


私が何よりも恐れたことは

親子の縁を切られること



性虐待って
難しい問題だと思っていて


それは
同性の親、私の場合母親に
「子」「娘」として見られるか
「女」として見られるか
ぱっくりと分かれると思うから



私は
「女」として見られて
親子の縁を断たれることを
何よりも恐れた


母は私を普通に見てくれるのだろうか?




信じる信じないという話ではないのよね


大切な人に嫌われることがとにかく怖いという話




母は
私にとってはあまりに大きすぎる存在で
本当に大切な大好きな人


でも
その大好きな母とも
普通に関われなくなったら……??



父が私へ言い続けた
「お前は母さんに嫌われている」
「愛されてなんかいない」
を自分で認めることになってしまう気がして


血のつながりを
自ら断つことになってしまう気がして



ただただ怖かった






*我が家のオオサンショウウオ様からのお告げ

( ̄▽ ̄)
「生まれてからずっと天涯孤独の身の人は、実の親の愛は知らないかもしれない。けど、その分周りに愛されているかもしれない」


( ̄▽ ̄)
「結局、その人次第だよ。俺は親の愛なんて知らない!だからどーのこーのとかひねくれてたらさ、みーんな避けると思わない?」


( ̄▽ ̄)
「まあたとえそこが切れても、俺はどんなみっちゃんでも大好きだから心配しないで!(きらりーん」


( ゚д゚)
「あ、はい(きらりーん……」




怖いのだと話した時
オオサンショウウオ様はこう言った



確かにそうだなぁと納得

どんな境遇であれ
愛される人は愛されるし
嫌われる人は嫌われるんだよね

と腹落ちした
※にしてもこれだけ「好き好きー!」と言ってくれる旦那さんで私は本当に幸せ者だと思う



*恐れを手放して前へ進んで幸せになることへの決意


んでもって
私は執着していたと思う



嫌われないことに

好かれることに

良く見られることに

いい娘で在ることに

愛されることに



それは

自分のことを好きになれない
自分を肯定できないことの
裏返しでもあった


自分で自分を肯定できないから
他人からの愛情で埋めようと超必死




でも

自分で自分のことを好きって言えないと他人からの愛情は受け取れないんだよね





嫌われないように今まで通り取り繕うのか

嫌われようとも本当の自分をオープンにするのか


天秤にかけて後者を選んだ



たとえ親子の縁を切られようとも
これ以上取り繕って生きることはできない

たとえ親不孝者と思われようとも
私は私の思う人生を作りたい

たとえ娘と思ってもらえなくなっても
私は幸せになりたい


この時
結構多くの人に
自分の過去について話すことができて
鬱も良くなりつつあった


血のつながりがなくとも
こんなにたくさんの人に愛してもらってる


執着してるから前に進めない

嫌われてもいい
殴られてもいい
罵倒されてもいい
また鬱になってもいい

当たって砕けろ

今までとは
真逆の選択をするんだ

どんな眼で見られようとも
私は私を一番愛するから大丈夫




そして
その日を迎える




*母の決心


その日は母が東京へ来た

何のためかというと
「心屋仁之助さん」の講演会へ一緒に行くため


私はもうここで話すと決めていた


カウンセリングもいろんな方法があると思うけど、心屋さんの言葉や解釈は当時鬱の私にはかなり響くものだった

だから一度
生で聴いてみたかった

母と一緒に


母も父の不倫で参ってたから
どう受け取るかはわからないけど
聴いてみてもらいたいと思っていた




今でこそ違うけど
母はいつも私に当たりが強くて
この時も開口一番
服や髪型へのダメ出し……笑
※これにも理由があったと後ほどわかるけど



講演会までは時間があったから
お茶しながらずっと父の不倫について話していた

母は気丈だった
本当によく耐えていた

でも
ストレスで本当に痩せてしまっていた


この母に話すのかと思うと
本当に心臓が痛かった

でも、どう受け取るかは母が決めること

そう思い決意は揺らさなかった



講演会は本当に良くて
珍しく母も
「連れて来てくれてありがとう」
「来てよかった」
と言ってくれた
※本当は口にしたいけど口にできないことを声を大にして言うって内容で「クソババア!」とか「私本当は借金があるの」とか「不倫してます」とか「本当は私だけ見て欲しかった」「お母さん、助けて」などなど何百もの言葉を口にした




なかなか
ありがとうとは言われたことがなかったから
びっくりしたことを覚えている


母は高速バスで日帰りするから
新宿まで送っていったのだけど
その道中で

「あのねーずっと黙ってたことあるから言うね」
「今日の講演会聴いて話そうと決心できたよ」

と言って話し始めた




*父は不倫常習犯というカミングアウトw


なんと父は私が3歳、弟が1歳の時に約6年もの大不倫を始めていたw

その時に離婚しようとしたけど
離婚するなら
私は父のところ、弟は母のところへ…
という話が出て
姉弟を離れ離れにしたくない想いもあり
母は離婚に踏み切らなかったらしい


その時
会社のお偉いさんの娘と不倫をしたものだから
当時いた支社からは飛ばされる話になって父は居た堪れず退職した

この退職を私は
「お前が転校を嫌がったから」
とずっと聞かされていたのだけど
本当の理由は違ったことを知った


大不倫は現在進行形を含めて2回

しかし
小さなものも含めると何度あるかわからないとのこと



「腐ってもあなたたちにとっては父だから、否定の眼で見てほしくなくて言えなかった」

「私が耐えればいいと思ってた」

「ずっと隠してきたけど、今の不倫はもうあなたたちにも知れてるし時効よね」

「母さん、強いでしょ」

「子どもたち二人が幸せになれば私はそれでいいから、だから幸せになってね」



母は気丈に作り笑いをしていた

本当に強い人だ
私は泣きそうだった

でも
母もまた弱い人なのだと知った

自分の幸せを
子に、他人に依存していることを知った


やっぱり私のおかんだね



私の心は穏やかだった

人に初めて話した時過呼吸になったのに
今はもうまったく怖くないや

今なら言える
何があっても今なら大丈夫



「おかん、私も20年以上黙ってきたことがあるから聴いてほしい」




*20年以上越しのカミングアウトをしてやっと本当の親子になれた話


母はキョトンとしていた

そりゃそうだ
20年以上前の私は幼稚園児だもんね



母の顔を見ると
鼻の奥がツンっとしてきて泣きそうだった

二人横に並んでいたから
そのまま前を見て
深呼吸をして話し始めた





おかん

もう知ってるかもしれないけど
私ね
おとんに性虐待を受けていた

ちょうど
おかんが今話してくれた大不倫の期間と
丸被りで5,6年されていた

小さい時弟がよく喘息で入院してたでしょ
最初は決まってその時だった

でも
だんだんおかんがいる時でも隠れてされてたし
お風呂でも毎回だった

触られただけじゃない
口に入れられたこともある

小さい時はわけがわからなかったよ
これが普通なのかなと思ってた

でも
性教育とか始まって
自分が普通じゃないことを知った時に
本当に死にたくなった

自分のことが大嫌いになった

斜に構えて
達観してるようでムカつくって
いつからそうなったのって
小さい時は人懐っこくて…なんて
おかん私によく言ってたよね

私ずっと死にたくて仕方なかったの

生まれてこなきゃよかったと思った
女の自分が大嫌いだった

高校生の時には
自傷行為もたくさんしてたの
手首だと眼に見えちゃうし
死ぬ勇気はなかったから
髪の毛抜いたり脚に傷を入れてた

死ねなかった
おかんと弟のことがいつも眼に浮かぶ

おとんには
「お前は母さんに嫌われてる」
「愛されていないんだよ」
「母さんは弟だけが可愛いんだって」
「だから、お前はかわいそうな子なんだよ」
「俺がかわいがってやる」
てずっと言われ続けてた

2月に帰省した時にも言われた

20年以上そうだった

でも
私が黙っていれば
家族は仲良くいられるんじゃないか
崩れないんじゃないかと思っていたよ

違ったよね

帰省した後にEさんに会った話したでしょ
その時にね
このことを受け入れられなければ
子宮も卵巣も良くならないと言われたんだ

びっくりした

でも
自己否定が激しい理由は
性虐待を受け入れられていないからだって
心の底ではわかってた

それで
どうしたらいいかわからなくて
鬱になっちゃった

今は大分元気だよ

でもね
母に本当のことを話さない限り
私は私を生きられないと思った

私はもう嘘をつきたくない

だから話した





母の顔を見ると
母は心底驚いている顔をしていた


「知らなかったんだね、驚かせたね」

と言うと


「どうしてすぐに言わなかったの?!」

と怒鳴られた


でもすぐに

「ごめん、今のは違うね」
「言えなかったよね」
「愛されてないなんて実の父にずっと言われ続けてたら、言えるはずないよね」

と言った





私は清々しかった


20年以上の荷物をやっとおろして
最後の鎧を脱いだ気分だった

身体が軽かった
顔もすごく晴れ晴れしている気がした


こんなに清々しい気持ちは
今まで味わったことがなくてスッとしていた



「おかん、聴いてくれてありがとう」

「私、やっと本当のこと言えた」



おかんは

「他には…?」

「今まで言えなかったこと、ある?」

と聴いてくれた



性虐待のこと
愛されていないと言われ続けたこと
母、弟、親族の悪口を幼い頃から今日に至るまでずっと聞かされていたこと

そういったことを話した



「もう隠し事はないよ」



そう言うと、おかんは言ってくれた



*恐れを手放して前へ進んだことへのギフトはあまりに大きかった


「愛してるよ、大好きだよ」

「あんたは何も悪くないじゃない」

「小さな頃から一人で家族を守ってきたんだね」

「母さん、守ってあげられてなかったね」

「ごめんね」

「あんたは、本当に優しくて強い子だよ」

「がんばったね」

「ありがとう」



もう私死んでもいいなーと思った笑

欲しかった言葉を
言ってほしかった人から
すべてもらったから


勉強で一番になっても
運動で一番になっても
どんな賞をもらっても
通信簿でオール5をとっても
どれだけ他人に褒められても

母は滅多に私を褒めることはなかった



けど

この時本当に溢れんばかりの愛をもらったことを感じた


生まれてきてよかったと思えた


私はもう
母に対してはありがとうしか出なかった



あっという間に時間は経ってバスは来てしまった


お互いに語りつくせないものを感じつつ手を握って、ハグをして

「またね」

と言って別れた



*25歳の”私”生誕


こうして25歳の”私”は生まれた



自己否定の塊だった私
死にたがりの私


そういう私ではなくなっていた



心底笑うようになった


自撮りもしちゃう


「がんばったね」

「これでやっと生きられるね」

と自分に言えた




やっと自分をゆるすことができたのでした

やっと3歳の自分を真っ直ぐ見ることができるようになったのでした

やっと好きな自分に戻れた



とっっっても長いから今日はここで一区切り

読んでくださった方いたら本当にありがとうございます


次回
このシリーズの締め括りということで

  • 出来事後の母からのメール
  • なぜ母や弟は今まで私への当たりが強かったか
  • この体験から学んだこと

を書こうと思う