itoいとしほにゃららと。

鎌倉に住むヒトの皮を被った猫のような人の記録。

私は別に普通の人だけど、私のいる世界は素晴らしいと思っている話

いともりです


鎌倉は由比ガ浜通りでは
今こんな光景を見ることができます

街灯に紫陽花ついてるの






*25歳の私シリーズ、お付き合いいただきありがとうございました

随分長くなったあのシリーズ
読んでくださった方々
ありがとうございました


予想外なことに
読んでくださった方々から
ご連絡をいただくこと、いただくこと…


なんか
本当にありがとうございます


色んなお言葉もいただいたので、いくつかピックアップして私が思うことをサクッと書こうかなと思います








*強くないよ、私は自分の弱さや嫌な部分をようやっと認められただけなのです


強いね

と本当にたくさん仰っていただきました



私的にはちょっとこの言葉むずむず




なんというか

強くはないと思うんだなぁ٩( 'ω' )و




強がることは一切やめた


代わりに
ひた隠しにしてきたつもりの
弱いところや自分の嫌な部分を
他人様にどう思われるかはさておき

解放することにした
おっぴろげー_(┐「ε:)_





強がることをやめた

というのは
私的には

嫌われないために完璧な人間で在ろうとすることをやめたということ




嫌われたくない
愛されたい

でも
本当の私では愛されない

だったら
こうすればいいんじゃないか
あれができたらいいんじゃないか


条件があれば
それが増えれば
愛して”もらえる”と思ってた


裏返しすると
相手を
周囲の人々を

「条件付きじゃないとこの人は私を嫌う」
「無条件でこの人は私に接してくれたりしない」

と、それはそれは偏った見方をしていた
失礼も甚だしいね!



もちろん
嫌われることもあるし
受け入れられないこともある


でも
それをビクビクして一体どうするのだ



そんなこと自分じゃ決められないわけで
そもそも相手が決めることなわけで

相手が超絶的に自分を拒絶するなら
相手は自分の鏡だから自分に何かあるのかもだし
そもそもどうしたって合わない人なのかもだし…




好かれよう、嫌われないようにしよう…と
他人軸に合わせて考え過ぎて生きていくことは

疲れる( ̄Д ̄)ノ




残念ながら
心配しなくても
条件などなくとも人は愛されるらしい

たくさんの鎧を背負ってる自分でも
そのことをわかったうえで
愛してくれる人もいるらしい





でも
自分で自分のことを受け入れられていないと

せっかくたくさんの愛情注がれていても
気づかないし愛情飢餓状態だし
受け取り拒否状態なんだな




愛情受け取る器を整えることができるのは自分だけだと思う




自分の弱いところを開けっぴろげにできることを「強さ」というならば
もしかしたら私は少し強くなれたのかもしれない








*嫌われることがまったく怖くないわけではなくて、私の行動の基準が変化したという話

「あそこまで話して怖くないんだね」

うーーーん
まったく怖くないかと言われるとそれも違う




なんというか

人によって物事や行動の基準って色々あって
正解も不正解も世の中にはないと思うけど



前の私は

「これをしたらあの人にどう思われるかな」
「これはあの人には嫌がられるかも」
「これしたら喜ばれるかな」

が行動基準だったのだと思う



(前述したけど)
今の私は

何それ疲れる

と思うようになっている←





”他人にどう思われるか”

そこに理由付けをして行動すると
そりゃあ〜疲れる


だって
予想通りの反応が返ってこないと
ひどくがっかりしたり
一喜一憂するわけで

外の世界に振り回されるばかり





今は

”ぜんぶうまくいくなら私はどうしたいのよ”

が、行動の基準



そこに
返ってくる反応は考えにあまり入れない

だって
うまくいくことを大前提としている




とはいえ
毎日毎回毎秒
うまくいくのか?と聞かれたらんなわけない_:(´ཀ`」 ∠):




でもでも

これでいいのだ。・*・:≡( ε:)


うまくいかなかったり
予想と外れて違うことが起これば

私は人間だから喜怒哀楽あるし
悲しかったら悲しむし
怒りたければ怒るし
イライラするし
カチンとくればそれも言う

もちろん
「仕方ないか」でストンとおさまることもある




感情を相手にぶつけること
そこに後悔は少ない気がする



本当はイライラしてたり悲しいのに
そのマイナス感情出すことで
相手にどう思われるか云々考えることが
疲れる

そして

相手のことばかり考えて
自分のことを無視することはもうやりたくない




ので
私に怒りをぶつけられたお相手はお相手で
カチンとくるだろうし
不本意!!!
と思ってるかもしれないけど…(ごめんちゃい


私は
とりあえず自分の感情の出し惜しみはしない
消化不良にさせないことを選ぶ



というか
勝手に消化不良にして
溜め込んで
我慢できなくなって
後々爆発させる方が面倒だと思うようになった
※前までの私




だから

「怖くないんだね」

の質問に答えるならば
そうではないのだ


行動するための基準・指標が変わっただけ





今回これだけ色々書いた理由は

「どうして鎌倉が好きなのか」
「どうして宿をやりたいのか」

そう聞かれた時に
自分の生い立ちや鬱の体験というものは
マストで必要なものだったからだ



  • 今までの私の生い立ち
  • 鬱になる期間


これらがなければ
私は絶対に宿の発想に至っていないし
鎌倉移住も決行していない

このプロセスは私にとって宝物なんだと自信を持って言えるからだ




怖いとか
怖くないとかじゃない



絶対に実現させたい想いがあり、その想いがどのようにして錬成されたかを私は”書きたかった”のだ





自分軸による行動の結果だし、自分がやりたくてやっているから、ここまであけっぴろげに書いたんだと思う






*すごくないよ、自由にやらせてもらってるのです


こんだけ好き勝手やってるからか

「すごいね」と言われるけど

私はすごいわけではないんだな




周りの方々が素晴らしいんだな

ということは、世界が素晴らしいんだな

世界が優しいということなんだな




これだけ好き勝手やっていても、私のことを好きだと言ってくれる方々がいる

手を差し伸べて助けてくださる方々がいる





ありがたいなぁ
うれしいなぁ

しあわせだなぁ


生かしてもらってます